鹿島美術研究 年報第32号
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することを選択したことにはいかなる理由があったのか。これらの事柄には、当時のカルトゥジア会士たちの修道実践に対する緩みや修道院相互の意識が関わっていることが推測される。修道会内部の変化の結果として、回廊装飾から聖具室装飾への転換が起こり、ラス・クエバス三部作として結実したのではないだろうか。以上の考察が導く聖具室装飾の動機の解明は、ラス・クエバス三部作に期待された役割、機能に対する解釈の深化に繋がるのみならず、複雑な17世紀キリスト教美術の理解にも寄与する。これまで、聖具室は聖堂やチャペルの陰に隠れ、単に貴重品、典礼用具を納める場としての理解にとどまっていた。そのため、その装飾事業に関する研究は少なく、聖具室内の絵画作品に関しても、聖具室という場とは切り離された観点によって考察されることが多い。しかし、トリエント公会議以降、聖具室は聖堂やチャペルなどと同じく装飾事業の中心となり、絵画はその装飾事業の一部として制作される。したがって、両者の関係を軽視することはできない。本研究により、聖具室装飾の意図と絵画への反映、その相関的な関係が明らかになれば、17世紀キリスト教美術における重要な一側面である「聖具室装飾」がいかなるものか解明することになるだろう。注  「スルバランの様式発展と「ラス・クエバス三部作」」『美術史研究』第50冊、103−124頁。研 究 者:金沢湯涌夢二館 学芸員  川 瀬 千 尋この度の研究において、竹久夢二が大正6年頃に帯地へ直に図案を描いた「合作帯」を中心に調査することから、大正期に夢二が行った服飾デザイン制作の実態を明らかにしたい。さらに、そのような夢二の活動を、ほぼ同時代に富本憲吉や藤井達吉、津田青楓らが中心となって試みたアマチュアリズムに基づく工芸制作の革新的な潮流と比較することによって、夢二の領域横断的な応用美術の実践を近代美術史上に位置づけることを目的とする。美人画家として有名な夢二について、時代を共にした美術批評家の森口多里は、「タブロー本位の美術史には夢二の占める場所はない」と述べ、時代風俗を写した小さな挿絵を「時代の若々しい憧憬と感傷とが象徴されている」と評価した。さらに、昭和初期の人形制作など応用美術の分野で残した功績についても高く評価している。独学② 竹久夢二の肉筆服飾デザインに関する研究 ─「合作帯」を中心に─

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