研 究 者:井原市立田中美術館 学芸員 田 中 純一朗彫刻家・竹内久一(1857〜1916)については、これまで《神武天皇立像》や《伎芸天》、博多の《日蓮上人銅像》などのモニュメンタルな作品、あるいは東京美術学校に委嘱された博物館模刻事業に果たした役割を中心に論じられてきた。明治国家における文化行政の展開、ナショナリズムの高揚と密接に結びついた活動が、久一を見いだした岡倉天心の影響と関与を踏まえて検証されてきたのである。また、久一の人的交流についても、清水晴風や大槻如電など、玩具や骨董趣味を共有するグループとの関わりから明らかにされている。しかし、同時代に活躍した高村光雲、その弟子たちが組織した日本彫刻会についての研究が進展する一方で、久一の活動については、吉田千鶴子氏や黒川廣子氏の研究があるにしても、その全貌についていまだ充分に解明されているとは言い難い。久一は彩色木彫や、頒布目的のために大量生産した小型木彫など、幅広い作品を残したことでも知られる。頒布目的の小型木彫の場合、当時の新聞広告によれば短期間で数百体から千体近い数が制作されたという。これらは久一単独での制作というより、その指導下にあった、いわば「竹内久一工房」の存在を想定しうる。実際、久一のもとには、天岡均一、佐崎霞村、白井雨山、長愛之、中谷翫古、沼田一雅などの教え子たちがいた。明治後期から昭和期にかけて活躍した彫刻家たちと竹内久一の関係は深く、他にも光雲に学びながら、明治以降の彫刻家として久一に最高の評価を与えた平櫛田中などもいた。本研究の目的は、日本近代彫刻史における竹内久一の活動とその影響について再考することにある。従来の久一研究において、《神武天皇立像》や《伎芸天》、東京国立博物館が所蔵する模刻像が注目されてきたのに対し、彩色木彫や頒布された小型木彫への言及は少ない。久一の彩色木彫としてはシカゴ万博に出品された《伎芸天》のほか、肖像彫刻や置物、人形の分野にも優品を残している。また、菅原道真や徳川家康、松尾芭蕉など歴史上の著名人を模った小型木彫は、大量に流通したことで作者の存在を社会的に認知させたにちがいない。モニュメント性の強い巨像が、博覧会出品や戦勝記念などの祭事的性格を帯びるのとは対照的に、個人的・商業的な目的で制作された彩色木彫や頒布彫刻は、それらがどのような経緯で依頼され、どのような性格を担⑥ 竹内久一研究 ―その活動と影響をめぐって―
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