⑧ 木村了琢筆「東照大権現像」の研究 ―その図像と伝播を中心に―研 究 者:埼玉県立歴史と民俗の博物館 学芸員 浦 木 賢 治教会における政治的・宗教的立場や、七秘蹟が問題となっていた、キリスト教の東西教会の合同によるフィレンツェ公会議に焦点を当てる。当時の信仰運動や依頼主の宗教的・政治的立場と教会史を含む制作背景を考察することで、《七秘蹟タペストリー》の復元図の整合性や、《七秘蹟祭壇画》の図像分析は一層の奥行きを持つことだろう。さらに、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの絵画研究へ宗教思想や教会という新たな視座を提示する可能性があると思われる。徳川家康の神格化は、祖父家康を慕った3代将軍家光が推し進めた。家光による家康神格化政策には、東照宮整備や「霊夢像」「東照大権現縁起」の制作、日光例幣使の創設、10回にもおよぶ日光社参などが挙げられる。その家康神格化の過程で制作されたのが、江戸時代を通じ、流派も越えて、広範囲に普及した「東照大権現像」である。「東照大権現像」研究や、その最初期の制作者とされる絵仏師4代目木村了琢の研究は、これまで歴史学の分野を中心に進められてきた。「東照大権現像」の先行研究には、同図を2系統に大別し、諸本を比較検討、分類する研究もある。しかし、それは図録等の図版をもとにした研究であり、実見にもとづく具体的な描写方法にまで踏み込んだ作品研究とは言い難く、美術史家による作品研究が俟たれているといっても過言ではない。また、木村了琢についても、日光東照宮関連資料の丹念な読み込みや天海僧正との関わり、天海の推挙による法橋位叙任に関する歴史学の研究は着実な成果をあげている。天海僧正に見いだされた4代目了琢以降、歴代の当主は法橋や法眼に叙され、絵仏師として確固たる地位を築き、日光東照宮の造営に際しては、狩野派絵師とともに障壁画を描いた。その4代目了琢が、家康を神格化した「東照大権現像」を描き、後に同図様は広く流布し、後世に大きな影響を与えたと推察され、実際、各地の寺社には同工異曲の「東照大権現像」が伝存し、神田宗庭や幕末に活躍した狩野一信らも描いている。後世への影響を無視できない4代目了琢による「東照大権現像」であるが、伝承による了琢作品とする「東照大権現像」もあり、諸本の具体的な作品比較が求められる状況にある。
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