上記の動向を鑑み、本研究では、全国に点在し、神君家康のイメージ形成に大きく寄与した「東照大権現像」の実態を明らかにするため、同図および4代目木村了琢作品の所在調査からはじめる。これまでは歴史学を中心に研究が進められた領域ではあるが、今や絵画表現に踏み込んだ作品研究が求められる段階といえる。「東照大権現像」研究と近世仏画研究に欠かせない木村了琢研究のふたつの領域の重なる位置に、本研究の主眼とする木村了琢筆「東照大権現像」の研究はあり、本研究の進展がおのずと両研究の発展に寄与するものと考える。そのために作品の基本情報は欠かせず、「東照大権現像」と4代目木村了琢作品の所在調査は軽視できない。これらの情報は、巨視的にみれば等閑視されてきたきらいのある近世仏画研究の基礎となるものであり、その意義は決して小さくないと考える。そのうえで、4代目了琢作品の比較検討を試み、絵画表現の観点から「東照大権現像」を分類し、傾向を把握したい。そして、地域・時代・流派を問わず描かれ定型化した「東照大権現像」の異同を確認する。「東照大権現像」の変遷をたどることは、神君家康に求められたイメージの変遷や制作意図を、時代・地域ごとに検討・理解することにつながり、江戸幕府の家康神格化政策の実像を明らかにするものと考える。研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 准教授 増 記 隆 介本研究は、我が国平安時代から鎌倉時代への転換期において、特異な文化的志向を有したとされる後白河院周辺に伝来した、もしくは周辺において制作された絵画を主たる考察の対象とする。後白河院政期の絵画については、①「年中行事絵巻」(現存せず、個人蔵の住吉家模本他が伝存)や「伴大納言絵巻」(出光美術館)に代表される絵巻制作とその画家である常磐源二光長周辺及び、それらの絵巻物の蓮華王院宝蔵への納入に関する研究、②最勝光院障子絵制作における藤原隆信の関与と似絵の濫觴及び九条兼実に代表される当該期の貴族の肖像画観に関する研究、③蓮華王院宝蔵に納められた六道絵と現存する「地獄草紙」(奈良国立博物館ほか)「餓鬼草紙」(東京国立博物館ほか)「病草紙」(京都国立博物館ほか)「辟邪絵」(奈良国立博物館)等との関係に関する研究、の三種がその中心的な課題であった。これらを通じて、当該期の絵画制作が内乱期の⑨ 後白河院政期における天平絵画及び唐宋絵画の受容に関する調査研究
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