明することは、当該期の文化的営為における高度な政治性に言及してきた近年の日本史学研究等、隣接諸分野の研究の進展に対しても寄与するものと考えられる。研 究 者:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程 高 橋 早紀子四天王中の北方天である多聞天は、独尊として信仰される場合、毘沙門天と称される。この毘沙門天の中でも特異な図像と信仰を有するのが、兜跋毘沙門天である。兜跋毘沙門天は、鳥の宝冠を戴き、裾長の金鎖甲や海老籠手を着け、宝塔を捧げ持ち、地天女や尼藍婆・毘藍婆の上に立つ。兜跋毘沙門天を規定する図像的特徴は、中国では鳥の宝冠・裾長の金鎖甲・胸当・海老籠手といった甲制であったが、日本では脚下の地天女となり、一般の甲制で地天女の上に立つ兜跋毘沙門天が主流となる。このことは、中国から日本への伝播において兜跋毘沙門天を規定する図像的特徴に変化が生じたことを示すと思われるが、その背景については未だ十分な検討がなされていない。そこで本研究の目的は、一般の甲制で地天女の上に立つ兜跋毘沙門天の成立背景を明らかにし、日本において兜跋毘沙門天を規定する図像的特徴が甲制から地天女へと変化した背景を究明することにある。そして、中国の遺品との関連を視野に入れ、図像および思想といった観点から、日本における兜跋毘沙門天の受容と展開についての総合的理解を示すことを目指す。兜跋毘沙門天を規定する図像的特徴が甲制から地天女へと変化したことに注目する本研究は、東アジア仏教美術史という視座から日本における兜跋毘沙門天の受容と展開を考察するものと位置づけられる。本研究の意義は、一般の甲制で地天女の上に立つ兜跋毘沙門天の嚆矢として東寺講堂多聞天像を再評価し、空海による図像の再構成の問題を含め、日本における兜跋毘沙門天の受容についての新たな議論を展開する点にある。これまで看過されてきた中国と日本における兜跋毘沙門天を規定する図像的特徴の差異に着眼したところに、研究史上の価値があると言える。本研究の構想は、以下の通りである。第一に、中国の兜跋毘沙門天および地天女の遺品を網羅的に調査し、日本への兜跋毘沙門天の図像伝播の問題を考察する基盤を整える。具体的には、一般の甲制で地天⑩ 日本における兜跋毘沙門天の受容と展開に関する研究
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