鹿島美術研究 年報第32号
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研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  清 水 美 佐本研究はビザンティン後期の聖堂装飾における聖母の予型図像をテーマとする。聖母の予型とは、旧約聖書の特定の事象を、神の受肉や聖母の処女性として解釈するものである。例えば、出エジプト記においてモーセが目にした燃える柴は、神の炎に包まれても傷を受けなかったおとめマリアと受肉の神秘を象徴するとされ、神の言葉が記された十戒の石板をおさめる契約の櫃は、神の言(ロゴス)であるキリストを胎に身籠るマリアに見立てられる。旧約聖書に語られた出来事を聖母マリアになぞらえて、神の容れもの、神と人とを結び合わせた存在として聖母を讃えるものである。こうした聖母の予型解釈は、ビザンティン中期の写本挿絵において断片的に絵画化されていたが、後期の聖堂装飾においてまとまった形をみる。旧約聖書のモティーフ上に聖母や聖母子を小さく描き込んで、当該主題が聖母を予型することを示す図像である。図像そのものが小さいために、現状では図版よりも文章による作例把握が中心となっている。先行研究は、作例を網羅的ではないが列挙する、または特定の聖堂について論じる際に含まれる聖母の予型図像にも言及するという形であるため、個々の作例を比較して論じられる段階にまで研究が進展しにくい要因ともなっている。近年データベースの公開によって写真資料にアクセスしやすくなった聖堂もある一方で、依然として1960〜70年代の文献を参照しなければならない聖堂も多い。筆者の研究において、現地に足を運んで直接図像を確認し、撮影で精細な写真資料を得て聖母の予型図像カタログを編むことは、当該分野の基本資料として研究の進展に大きく貢献するものである。聖堂装飾における聖母の予型図像は、バルカン半島を中心に13世紀末から14世紀半ばにかけて隆盛する。筆者はこれまで、トルコ、セルビア、コソヴォ、マケドニアの現地調査を行ってきた。今回、ギリシャのミストラとテサロニキを中心に調査を計画しているが、いずれも聖母の予型図像隆盛期から衰退期の聖堂をまとまって見られる地域である。聖母の予型図像を有することが確認される聖堂群が含まれるため、筆者の研究において両地域の調査は不可欠となる。なかでもミストラのパナギア・ペリブレプトス聖堂は14世紀後半、聖母の予型衰退期の作例として、テサロニキのアギイ・アポストリ聖堂は14世紀前半、最大規模の聖母の予型サイクルを有する作例として、⑫ ビザンティンの聖堂装飾における聖母の予型図像研究

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