鹿島美術研究 年報第32号
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研 究 者:和歌山県教育庁 生涯学習局 文化遺産課 技師  三 本 周 作本研究は、瀧山寺に伝来した三尊像と十一面観音像を巡る諸問題の検討を通じて、鎌倉時代彫刻史の主要命題である運慶・快慶研究の進展への寄与を図るものである。三尊像は、鎌倉時代彫刻史の中で仏師運慶の主要業績として大きく扱われる。小山正文氏の『縁起』に関する論考に端を発した研究は、その直後に同氏が三尊像を見出して彫刻史的観点から考察を加えたことでにわかに進展し、さらに松島健氏による構造・作風等の詳細な調査検討を経て、ほぼその基礎は固められたといってよい。すなわち三尊像は、『縁起』「惣持禅院」の項にその存在が記される、頼朝三回忌の正治3年に瀧山寺僧寛伝の発願で仏師運慶・湛慶父子が完成させ、頼朝等身で像内に同人の歯と髪を奉籠した聖観音像及びその脇侍梵天・帝釈天像との関係が想定され、同書の史料としての信憑性の高さや、作風にそれを前後する時期の運慶作品との共通性を認め得ることから、両者が同一のものとして確定されたわけである。上記では、三尊像の制作背景について、関係者の人的ネットワークという側面から一定の成果が示されたといってよい。一方、その研究の過程で指摘されたことに、三尊像の特異な造形に関する問題がある。主には、①聖観音・梵天・帝釈天という特異な三尊構成が、天皇御持仏とされたいわゆる「二間観音」と共通する、②聖観音が当時としては珍しい飛鳥時代式の光背を負う、③梵天・帝釈天が京都・東寺講堂の同天を立像に翻案した形姿につくられる、の3点である。像容をいかにつくるかは、事業目的に関わる重要事項であり、三尊像の意義は、この造形に込められた意味合いも含めて評価がなされることで、より精彩を帯びることになるはずである。そしてこの際、聖観音が頼朝等身であること、同人の歯と髪が納入されていることも、やはり同じ観点からその意味が問われるべきであろう。如上の問題意識に立ち、本研究では従来の研究の枠組みを超えて、広い観点から三尊像の鎌倉時代彫刻史上の位置づけを明白にすることを目指す。十一面観音像は、最近の調査で運慶と双璧をなす仏師快慶の周辺の作として再評価がなされた。また同像については、現状十一面観音の形姿をとるが、頭上面はいずれも後補で、しかもその取り付けが不自然であることから、もとは弥勒菩薩像であった可能性が指摘されていることも注目される。この像は作風から見て鎌倉時代初めの12⑰ 愛知・瀧山寺伝来の鎌倉時代初期慶派作例2件に関する調査研究

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