鹿島美術研究 年報第32号
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•関西、九州 福岡市美術館、福岡県立美術館、芦屋市立美術館    む多岐にわたる分野を篩にかけずに扱い、「fi ne art」とは異なる概念の形成、及び類別体系の変化の系図を描く。具体的には、戦後に創刊、及び復刊された、『美術批評』(1952年〜)、『美術手帖』(1948年〜)、『芸術新潮』(1950年〜)、『みづゑ』(1946年復刊)を中心とする芸術批評誌、展覧会図録、また作家と批評家の出版物を中心に「戦後美術」、「前衛美術」、及び「現代美術」概念形成に触れる展覧会、文献資料調査、分析を以下の機関の資料室、図書館で行う。•東京(近郊)  国立国会図書館、東京都立図書館(中央、立川)、国立近代美術館、東京都現代美術館、国立新美術館、神奈川近代美術館、多摩美術大学③ ①と②の比較考察①と②で得た日英語の調査資料を比較分析し、欧米の「普遍的視覚言語」の概念、また「東洋趣味」に偏り形成される概念と、日本の多様であり、包括的な現代美術概念、分類体系との間に存在する不可視の溝を明示し、日本現代美術が西洋の現代美術概念に従属する種の美術ではなく、主体性を持ち、間文化的芸術概念を提示する、との論証を目指す。更に、欧米で「日本現代美術」の分類から除外される作品の体系化、また日本においても次第に現代美術とは把握されず消去される分野との比較考察を行う。なお、この研究作業はオランダで行う。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  久保田 有 寿本研究は、《ゲルニカ》がヨーロッパからアメリカへともたらされた初期の時代、1939−47年を調査対象とし、《ゲルニカ》受容史の一つの分水嶺として位置づけられるも、これまで詳細に検討されてこなかった1947年のMoMAで行われたシンポジウムに焦点を当て、その実態を明らかにすることを目的とする。1937年にパリ万博で公開された後、フランコの独裁と第二次世界大戦勃発のために行き場をなくした《ゲルニカ》は、時代に翻弄され「オデュッセイア」と例えられる⑳ 《ゲルニカ》をめぐる言説と受容史研究―ニューヨーク近代美術館のシンポジウム(1947)を中心に―

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