鹿島美術研究 年報第32号
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しての美術教育にも影響を与え、美術家を志す者に継がれた。たとえば、明治22年(1889)開校の東京美術学校では臨模というカリキュラムがあり、模造や模本を手本とする写しが行われていた。他方、模造・模本の所有者にとっては、展示を通じた一般市民への美術教育の資料として模造・模本が不可欠なものであったはずである。実際、帝国(後に帝室)博物館時代には、模造・模本をもとに展示を構成した時期がある。現代においては、これら模造・模本は明治時代のある時点での彩色や構造などのオリジナルの状態を伝える貴重な資料である。こうした模造・模本の基礎的な情報を収集・記録し適切に評価することは、明治時代に始まる文化財展示や美術教育、文化財保護、文化財修理の一様相を明らかにする端緒となるであろう。また当時から1世紀近くが過ぎようとしている現在、模本・模造に関わった人々の子孫や関係資料に接触できる時期の下限にあるといえる。記憶や資料が不明となる前に少しでも多くの情報を収集・記録する必要があり、その価値は少なくないだろう。明治時代における「古器旧物」の模造・模本は、国内外に所蔵されている。調査対象を奈良の「古器旧物」の模本・模造に絞っても、その全てを1年の調査で網羅することは物理的にも経済的にも困難である。そこで今回は、まず国内の施設については筆者の所属する奈良国立博物館所蔵の模造・模本を調査する。当館は、開館翌年の明治29年(1896)には模本を100件ちかく購入している。彫刻や工芸分野を含めると多くの模造・模本を所蔵するが、オリジナルの研究を優先的に進める必要性から、分野を超えた包括的な模造・模本の把握は困難であった。これを機に、奈良にある国立博物館として地元の貴重な文化財の模造・模本に関する調査を行い、成果を提示することは価値があると考える。次に、東京藝術大学所蔵になる模造・模本の調査を行う。東京藝術大学はその前身である東京美術学校時代、校長の岡倉天心が帝国博物館美術部長を兼ねていた関係から特に多くの模造・模本製作を行っており、そのコレクションも多いため相当の成果が期待できる。最後に海外の文化施設については、まずケルン東洋美術館所蔵の模造・模本を調査する。ケルン東洋美術館は、筆者が本年5月に仏教美術調査を行った経緯から同館学芸員との情報交換が続いている。同館には少なからず実物大の仏像の模造などが収蔵されているが、それらに関する基礎的な研究はまだなされていないため、調査が叶え

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