鹿島美術研究 年報第32号
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帝国の支配圏において広範囲に影響を及ぼし、神学上・図像学上な関連性を持っていたと考える。ネーデルランドではヤン・ファン・エイクによって《泉の聖母》(1439年、アントウェルペン、王立美術館)が描かれたが、アルトドルファーの本作品においても噴水が大きく描かれたのは、泉がマリア学上きわめて重要な要素であったためである。もし本作品が、ファン・エイクの《泉の聖母》の系統に属するならば、救済史においてアダムとエヴァの原罪をキリストが贖うといった初期キリスト教時代からの「生命の泉」教義を表しているということができるだろう。当時神聖ローマ帝国の支配領域が、ネーデルランドからドイツ、オーストリアにまで及んでいたことを鑑み、ネーデルランドの写本において、多くのマリア賛歌、マリアが生命の泉の仲介者であるとする詩が書かれたことは注目に値する。それらをできるかぎり多く渉猟し、それらの影響関係を探る必要がある。また、ノルが指摘したように、1512年から14年に皇帝マクシミリアン1世が注文した『マクシミリアン1世の祈祷書』には、アルトドルファーの本作品と酷似した噴水が見られるが、神聖ローマ帝国世界の写本文化におけるマリアと泉のもつ意味についても調査を行い、本作品の噴水の意味を明確にする。さらに画面の背景に広がる海や港の風景、聖家族の背後に描かれた廃墟や塔や門といったモチーフが意味するもの、そして聖家族像におけるヨセフの位置や従来とは異なるマリアやキリストの表現についても関連づけて論じることができると考える。そのために、当時のドイツにおける聖家族やマリア信仰のあり方について、神学的見地、地域性、歴史的要因からさらに精査を行う必要があると考える。この研究を進めることで、アルトドルファーのマリア像の持つ特異性は、マリア神秘主義思想に大きく起因すると思われる。それゆえ、本作品は《エジプト逃避途上の休息》ではなく、《聖家族と泉》であると再定義できるであろう。さらに本作品の祈祷図としての意味を検討することは、宗教改革直前期のドイツにおける聖家族像の役割といういまだ不透明であった分野に新たな光を当てることにつながると考えている。アルトドルファー研究は近年進んできたとはいえ、ドイツ国内においてさえ、代表作を除けば、いまだ奇想に満ちた謎の多い画家として、個々の作品の評価が定まっていない状態である。しかし、本研究によって、アルトドルファーという画家の再評価に一定の貢献ができると考える。また本研究は、やはり従来の美術史において手薄で

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