鹿島美術研究 年報第32号
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り強化され、小景画が完全に山水を主題として描いたものになる。それらについて検討を加え、その要因について解明する。本研究は以上の構想のように、研究を進める予定である。研究代表者である筆者が構想する「古典的錦4型」の第Ⅰ型錦(出版原稿第1編第5章)の補完のためであるが、その重要性はきわめて大きい。中国錦自体の構造や精細な分析的知見は獲得しており白紙からの出発ではない。それゆえ精密なデータの必要はない。むしろ北方資料の総体を把握することにある。ロシア、エルミタージュ美術館が所蔵するところの北方騎馬民族の永久凍結墓出土品は、中国錦であるにもかかわらず、中国の黄土地帯には発掘例はなく、ひさしい間、中国の戦国−漢代(紀元前後)の錦について、我々はその知見にとぼしく、わが国の上代錦(第Ⅲ型、第Ⅳ型)研究の充足にも差し障りがあった。願わしいのは、それらの精緻なカラー図版である。錦は彩りをもっていのちとする。それがモノクロム図版であると真に迫ることができないのであった。しかし9月26日のエルミタージュ美術館を訪問した藻利佳彦氏から発信されたEメールにより、その要望は全面的に受け入れられることが分かった。今回、北方民族、とりわけ匈奴に関する新資料(2009年発見)がモンゴル共和国ウランバートル博物館に所蔵されている知見を得た。刺繍であるが、匈奴の日常を描く貴重なもので、実見での研究に大いに値する。博物館訪問に当たっては館長経験者であり、同国学界の重鎮であるアヨーダイ・オチル(A.Ochir)氏の便宜が得られるが、予算はこれを許さない。匈奴の美意識の高さについては特記すべき点が多い。この機会に自費で赴くことも視野に入れている。解放後の中国はその錦の源流をもとめて国家的プロジェクトのもと、大規模な発掘調査が行われた。その一つに1984年、長江流域の江陵馬山第1号戦国楚墓(前3世紀)の発掘において大多数の錦と刺繍が発見された。驚異的なことに、これに同似、むしろ同類とみるべき錦と刺繍が、1930−40年代に、断片で、南シベリアのパジリク古墳(エルミタージュ美術館、モンゴル国立博物館蔵)研 究 者:元古代オリエント博物館 学芸員  横 張 和 子(代表者)㉖ 北方騎馬民族墓出土の中国経錦(戦国−漢)の確認調査

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