鹿島美術研究 年報第32号
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(前3世紀)から発掘されていたことが知られ(エルミタージュ美術館蔵)、ここに北方民族と長江流域の中国人との間に密な関係があったことが考えられるようになった。新しく設けた「古典的錦4型」の構想をもってすれば、複雑、多様な古代・中世の錦の位置づけが容易となり、将来的にはスタンダードな基準として、この類型化は一般化して用いられると考えられるが、本調査はその第Ⅰ型錦の実態をより鮮明なものにすると考える。入手可能となったカラー写真は染織研究者ばかりではなく日本学界にも有用なものとなろう。研 究 者:コロンビア大学大学院 美術史・考古学部 博士課程     武蔵野美術大学 外国人奨励研究員  イェンス バルテル(Jens Bartel)本研究の特徴:主張するのは次の三点:1)従来の研究の主流である「写生重視」の様々な学説に対して批判的な立場から論ずること。「写生」は、応挙の絵画様式の重要な要素として認めるが、佐々木丞平をはじめ、橋本綾子、冷泉勝彦、山川武、河野元昭を含めて先学の中では様式のみを分析された応挙の作品が多く、理解に更に意義を持っている要素を見逃す先行研究の傾向が目立つ。2)応挙の山水図に際立つモチーフの再使用とそのバリエーション(パターン化)という要素を視野に入れて、応挙の絵画制作へのアプローチの根本的な一面として解釈すること。応挙が一つの作品のために意図した構図又はその部分(ディテール)を別の作品に繰り返し使用し、同じモチーフを新しく画面上で整えることによって完成画の数を著しく増加したことを強調する。3)一方、室町時代の水墨画の中国的な水墨表現を実際に存在する18世紀の日本の風景に適応した応挙であるが、反対面に応挙の山水図内に登場する人物のほとんどが中国の服装をした、中国の仙人や高士であるので、応挙の「写生画」と言われる山水図は、実は現実に存在しなかった複合的な世界を表した、文化的な空想であろう。その点に関しては、応挙が付き合った皆川淇園、木村蒹葭堂等という知識人の中国文化へ㉗ 円山応挙の水墨山水図屏風 ―様式の成立とその意義―

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