の憧れと緊密につながっていると思われ、一つの要素として応挙の大画面の水墨山水図の解釈に含まれるべきではないかと思う。博士論文の構想と本研究との関係:博士論文は全四章で、第一章に「序論」として先行研究の在り方と特色を遡行し、それに対して本論文の研究方法の輪郭を明確にする。第二章に「スタイル」という概念のもとに水墨山水図屏風の分析を行っている(本研究)。「空間」という概念を基礎に、第三章に応挙の円満院の《雪景山水図》襖絵と法妙院の《山水図》襖絵を中心に検討を進めて、第四章におよそ二十年後に描かれた帰雲院(南禅寺境内、襖絵全四室)の山水図を考察する構造になる。本研究で応挙の様式/スタイルについて得た理解を次の第三章と第四章の襖絵の分析にも生かして、空間との考察と併せて研究の概念的な枠組みとして使用することにより、先行研究でまだ余り論じられなかった作品群の解釈を目指す。「空間」という用語は、応挙の作品のほとんどの場合に画面内の空間意識に限られて扱われていたが、本論文はそれと違って、より広義な意味での空間/スペースとして解釈する。襖絵が決まった場所のために建築内の三次元的な芸術として制作されたものであるので、その場所に特有な「文化的な空間・寺院として宗教的な空間・歴史を有する空間」の有様と応挙の襖絵との関係性の多面的な考査を狙っている。本研究の中心である応挙の水墨山水図屏風の様式の成立とその意義の分析や考察は、そのために貴重な段階であろう。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 吉 川 貴 子構想本研究は、19世紀末から1907年までフランスにおいて美術批評家として活動したメシスラス・ゴルベール(1869−1907)について、その批評の足跡と同時代のアヴァンギャルド芸術家、特にアンリ・マティスとの関係性を考察の対象とする。ゴルベールはマティスに芸術理論に関する論文「画家のノート」の執筆を依頼した人物であり、当時十分にその芸術様式が広く認知されていなかったマティスの支援者㉘ アンリ・マティス「画家のノート」の理論形成 ―メシスラス・ゴルベールの芸術批評との関係性から―
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