鹿島美術研究 年報第32号
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のひとりに数えられる。ゴルベールは生前、駆け出しの批評家であったギヨーム・アポリネールやアンドレ・サルモンらと交流を深め、芸術文芸誌 La plume、自らの名前を冠した Les cahiers mensuels de Mécislas Golberg 誌に美術批評についての記事を寄稿するなど、積極的な執筆活動を行った。だが、その早すぎる死から現在に至るまでにほぼ忘れ去られた存在となっており、近年ようやく生前の活動や思想に関する研究が端緒についたばかりである(Catherine Coquio (éd.),“Mécislas Golberg, kaleidoscope”, Revue des lettres modernes, 2000)。しかしながら、このモノグラフにおいても、社会政治学的、文学史的観点に基づく詩人や政治活動家としてのゴルベールを研究対象とするものが大半を占める。文化人類学的観点からゴルベールの美術批評を分析した研究論文も存在するが、当時のアートシーンとの緊密な関係性といった視点に根ざした美術批評家としてのゴルベールの側面を十分に分析しているとは言いがたい。こうした現状に対し、本研究では、マティスとピカソの支援者であったアポリネールが美術批評に関して影響を受けたとするジョン・リチャードソンの指摘や(A Life of Picasso, Jonathan Cape, 1991)マティスとの交流について説明したヒラリー・スパーリングの記述(The Unknown Matisse: A Life of Henri Matisse, the Early Years, 1869−1908, Alfred A. Knopf, 1998)に基づきながらゴルベールとマティス、ピカソとその周辺の人物たちの交流を明らかにする。実際にマティスをはじめとする同時代人との往復書簡を実見するほか、ゴルベールが美術批評を掲載した文芸雑誌、特に Les cahiers de mensuels de Mécislas Golberg における芸術理論の展開について詳細に分析し、当時一般的に非難の対象とされていたマティスやピカソを支援するに至るその経緯と論拠を考察することを目的とする。ゴルベールは、ロバート・ゴールドウォーターの研究書(Primitivism in Modern Painting, Harper & Brothers, 1938)に先駆けて、芸術における「プリミティヴ」の概念をいちはやく検討した人物としても注目に値する。また、同時代芸術の非西洋美術への接近についていち早く指摘し、こうした観点から、非西洋美術から多大な影響を受けたマティスやピカソらアヴァンギャルド芸術家を擁護するに至ったとされ、彼らの理論形成及びその評価の確立に貢献した最初期の人物と言っても過言ではない。意義・価値マティスの画業を考察する上で、他文化からの影響については画家自身が認めているほか、先行研究において長らく指摘されつづけてきた事実ではある。だが、本研究

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