鹿島美術研究 年報第32号
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においてマティスの文化的借用をポジティヴな制作態度とする思想の素地を形成した人物としてゴルベールを捉えることによって、これまで造形的な親縁性に指摘するに留まっていた先行研究に新たな展開をもたらすことに貢献すると考えている。また、マティスやピカソを支援したコレクターや美術批評家の多くが、非西洋美術の愛好者であったことを鑑みると、ゴルベールの理論の分析はマティスの画業のみならず、モダンアート受容の研究においても新たな地平を開くことを可能にすると考える。研 究 者:島根県立美術館 学芸員  帯 刀 菜 緒本調査は初期雲谷派の画風の形成過程の一端を明らかにすることを目的とする。中でも、雲谷等顔の画業に焦点を当てて、その画面様式の成立背景を検証したい。雲谷等顔は雪舟流の画図に学び、また、京都で狩野永徳または松栄に師事し、狩野派、長谷川派、海北派の大画面構成に影響を受けて自己の様式を確立したとされる。その画風は水墨画が主体で、金地大画面構成を多く手がけなかったと言われ、雪舟の後継として雪舟画を意識するあまり保守的であると評されることもある。また、等顔の様式変遷については、落款印章と筆致の分析からおおまかな先後関係が考察されているが、その特徴的な描写技法について、個々の詳細な分析がなされる段階には至っていない。等顔の初期様式に朝鮮絵画の影響があることが指摘されているが、その理由となる背景の絵画受容状況や全体的な様式の成立源の検討については多くの課題が残されている。まず、等顔の作品における中国・朝鮮絵画の摂取の有無や、具体的な描写技法の影響関係を詳細に検討する必要がある。このことは、同時代の日本絵画全体における外来絵画からの影響を問題にする上で必要な作業であると考える。同時代の外来絵画の摂取において、長谷川派など他の漢画派の絵師の作例を見ると、優先して摂取される様式や影響力の強い様式があったことが看取される。例えば、長谷川等伯の画風変遷において、前期は室町期以降の禅宗文化の中で高く評価された牧谿の作品からの影響が、後期は明代浙派の作品の影響が見られることが指摘されている。このような摂取内容の変化は、同時代の絵画受容層における外来絵画の価値評価の変化にも強く影響を受けていると考えられる。等顔様式に見られる外来絵画摂取の姿勢を明らかにする㉙ 初期雲谷派の画風形成に関する調査

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