鹿島美術研究 年報第32号
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ことは、桃山時代の外来絵画摂取の姿勢、絵画評価の姿勢の一端を明らかにすることでもある。また、外来絵画の摂取の問題に加え、雪舟流の後継としての自己認識がどのようなものであったかという問いも、初期雲谷派の位置づけを明確にする上で考えなければならない問題である。「雪舟末孫」という落款を多く用いた慶長期頃の等顔と、「雪舟四代」の落款を用いた寛永期の等益の間に、雪舟流後継として自流を主張する姿勢についての差異があることが既に指摘されている。等顔の作品自体に雪舟流としての主張がどの程度明確に看取されるか、分析し明らかにするべきである。更に、等顔の様式に他の同時代漢画諸派がどのように影響を及ぼしているか、等顔、等益らの作風が近世初期以降の雪舟解釈にどのように影響を与えたかの問題がある。これらの課題は、筆者が関心を持っている日本近世初期の漢画作例における中国・朝鮮絵画の受容姿勢や、絵師とパトロンとなった上層階級との関係についての問題に密接な関わりを持ち、近世初期の絵画史の状況を考える上で解決しなければならない問題であると考える。研 究 者:国立新美術館 アソシエイト・フェロー  横 山 由季子本研究は、デッサン、装飾、絵画という3つの軸に沿って展開されるものであるが、装飾と絵画を結び付ける要がデッサンである。19世紀のフランスにおいて、デッサンは芸術の分野だけではなく、教育、産業、そして倫理の面においても、人間形成の基礎とみなされていた。とりわけ、哲学者でありルーヴル美術館学芸員や古文書検査官などの要職を歴任したフェリックス・ラヴェッソンが展開した「デッサンの哲学」は、従来の幾何学デッサンに基づいた教育を覆し、人間の美的判断力に依拠したより柔軟で有機的なデッサンを推進するという革新的なものであった。ラヴェッソンについては、その理論の重要性と後世への影響にもかかわらず、本国フランスにおいても先行研究がほとんどなく、一次資料の調査を中心に、そのデッサン論の全貌を明らかにすることには大きな意義があると考える。ラヴェッソンの理論は、自身の目で見た対象を素早い線で描きとめていった同時代のフランス近代絵画の傾向とも呼応するものであり、直接的な言及はなくとも、時代の美学を象徴するものであった。㉚ 19世紀後半のフランスにおける装飾デッサンの絵画への影響

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