やがて、ジャポニスムやアール・ヌーヴォーが一世を風靡し、古代彫像を規範とするアカデミックなデッサン教育ではなく、広く産業にも応用できる装飾デッサンが、美術教育に不可欠な要素としてプログラムに組み込まれていく。19世紀から20世紀への転換期のフランスにおいて、装飾と芸術の概念と実践は分かち難く結びついている。現在もパリに門を構える国立装飾美術学校を中心に、公立の素描学校や私設アトリエ、さらには高校教育にまでその風潮は広まった。より質が高く芸術的な価値をもつ建築や工芸品の製産のために、確かな技術と独創性を兼ね備えたデッサン技術が求められるようになり、装飾美術学校の教師たちは、装飾デッサンの理論を構築することにも労力を注いだ。彼らの著作には、ラヴェッソンの思想とも共通する「線の素早さ」「対象を中心から捉える」というキーワードが見出せる。また、フェリックス・ブラックモンやウジェーヌ・グラッセといった世紀末の装飾芸術家による仕事もこの時代の動向を色濃く反映している。およそ半世紀をかけて練り上げられたフランス近代のデッサン理論は、装飾芸術の台頭と軌を一にし、その議論が後者へと接続されることで、人体をヒエラルキーの頂点に据えた西洋の伝統から解放され、より根源的なフォルムの探求に向かっていったといえよう。本研究では、ラヴェッソンの議論を出発点に、「デッサン」の意味と定義そのものが問われた時代のフランスにおけるデッサンの理論と実践について、装飾デッサンの近代絵画への影響という新たな視点から研究を進めると同時に、「デッサンとは何か」という大きな問題設定のもとで、哲学的な考察も試みたい。後者は、20世紀から21世紀にかけての現代美術やデザインにおいても表現媒体のひとつとして重要な位置を占める「デッサン」のあり方にも通じる問いである。人間の手によるフォルムの生成という問題について、もっとも根源的な考察を押し進めたフランス近代という時代を考察することは、機械化・情報化が進んだ21世紀の「デッサン」と対峙する際にも、大きな指針となるだろう。いずれは、本研究をパリ第10大学に提出予定の博士論文へと繋げたいと考えている。さらに、今日世界各地で開催されているデッサンの展覧会―MoMAのDrawing Now展(1976年)、ルーヴル美術館の素描部門が思想家を招いて企画する一連のデッサン展、とりわけジャック・デリダ企画の「盲者の記憶 自画像およびその他の廃墟」展(1990年)、そしてジャン=リュック・ナンシーがリヨン美術館で企画した「デッサンの快楽(Le Plaisir au dessin)」展(2009年)、あるいは人類学者ティム・インゴル
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