鹿島美術研究 年報第32号
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こうした印象から私は、作者の創造性と読者の創造性が火花を散らし、交差し合う領域に『大菩薩峠』は成立しているのではないかという作業仮説を手にするようになった。さきに上梓した著書『「大菩薩峠」の世界像』は、そのアイディアの検証を試みた最初の仕事である。今回の調査研究は、このアイディアに、前著とは少し異なった角度からアプローチしてみようとする試みである。そのきっかけとなったのは、介山の親族によって所蔵されている絵入りの創作ノート『人情風俗』の存在を知り、その写しの縮小版を手に入れたことである(カタログ『中里介山「大菩薩峠」の世界』、山梨県立文学館)。このノートは、原稿用紙に読みづらい毛筆で書きこまれたものであり、残念なことに活字化はされておらず、先行研究も存在しない。このノートの調査研究は、『大菩薩峠』の基底に秘められ、ある部分は実現し、ある部分は実現しないままに終わっている作者介山の構想力の所在を明るみにするうえで、きわめて重大な意義をもつものと考えられる。さらに、『大菩薩峠』作者による描画と挿絵画家の描画の比較研究については、こうした主題の立て方自体が、前例に乏しいものと思われる。こうした主題が成立しうる第一の理由は、介山自身のなかに深い美術への関心と絵心が存在するからである。『大菩薩峠』の主要作中人物の一人として幕末期の画家田崎草雲をモデルにした絵師「田山白雲」が登場し、創作と画論を繰り広げるし、作中、東西の美術への言及は実に多い。非文字芸術への関心は、介山においては本質的なものであり、その創作活動の起動力としてはたらいていたものとみられる。本研究は、その点を明らかにすることを意図している。『大菩薩峠』は、世界文学のなかでも非常にユニークで重要な位置を占めうる作品であるにもかかわらず、その長さ、「大衆文学」という偏見、基礎研究の遅れなどが手伝って、その真価が十分に理解されているとはいえない作品である。本研究においては、上記の考究を通して、現状打開の一契機となることが目指されている。

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