に富む独自の主題解釈に基づいて制作された彼の作品は幻想的で陰鬱な雰囲気を持ち、後に続く象徴主義の芸術にも影響を与えたと考えられている。こうした作品の特徴や、画家が一時期アトリエに引きこもって制作していたという同時代の証言から、この画家は他人と関わることなく孤独な環境下で制作を行っていたかのように語られてきた。19世紀フランス絵画史においては、カフェなどで多くの芸術家らと議論を交わし、グループ展を行いながら画商を通じて作品の価値を高めていった印象派の画家達の成功が燦然と輝いているが、彼らとは対照的にモローはひっそりと自らの想像力だけを頼りに制作に励んでいたかのようなイメージを付与されてきた。しかしながら、近年の様々な資料調査によって明らかになってきたように、画家の周囲には彼と議論を交わし、時には彼に助言を与え、彼を助ける役割を果たす人間がいた。画家自身や友人達の証言の記録は、画家の父ルイ・モローが息子を熱心に教育し、数多くの援助を施していたことを明らかにしている。また、画家が残した数多くの記述からは、彼のアトリエに出入りしていた親しい友人達との間で、作品を巡っていくつもの議論がなされていた様子が読み取れる。さらに、晩年に美術学校教師となった画家が弟子達とやり取りしていた書簡や当時の作品からは、弟子との交流の中で画家自身の画面にも変化が表れていたことがうかがえる。とりわけ、友人達との間でなされた芸術についての議論は彼の画業の大きな助けとなったと考えられる。画家の若い頃からの友人の中には熱心な文学愛好家や美術批評家、音楽家らがいた。彼らは画家のアトリエに出入りし、あるいは書簡をやり取りしながら芸術についての議論を交わし、制作に助言を与えた。また、画家自身も自らの作品について彼らに解説し、時として彼らに意見を求めていた。画家が友人達に自らの作品を捧げることもあり、反対に、友人達が彼らの作品(楽譜や著作など)を画家やその母親に捧げることもあった。さらに、画家がサロンに作品を出品した際には、友人の美術批評家達が作品についての批評記事を記している。画家は、こうした友人達との交流の中で、追求すべき理想的な芸術観を打ち立て、独自の画風を確立していった。また、しばしば難解で「文学的」と評されることもあったこの画家の作品が多くの愛好家を獲得するにあたっては、友人の美術批評家達が記した批評記事が少なからず重要な役割を果たしたと考えられる。彼らの記事の中には、画家との交流の中で得た情報を活用して書いたと思われる記述も見られるが、それは画面からだけでは読み取ることの困難な魅力を作品やその制作者に付与すること
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