研 究 者:東京藝術大学大学院 美術研究科 専門研究員 巖 谷 睦 月筆者のこれまでの研究の大半は、本年3月に修了した東京藝術大学大学院美術研究科における博士学位論文に結実している。この博士論文は、20世紀イタリアの前衛芸術を代表する作家であるルーチョ・フォンターナの「空間主義」を研究対象としたものであった。当論文では、作家の1930年代の作品群にまでさかのぼって、「空間主義」の萌芽をそこに見ると同時に、この芸術思想の成立の決定的時期にあたる第二次世界大戦中から、大戦直後までの時期を中心的な考察対象とし、さらに、フォンターナの作品として最もよく知られた《空間概念》の「切り口」シリーズ誕生までの過程を詳細に分析した。この分析をもとに、多様性に富む膨大なフォンターナの作品制作を、一貫性のある造形思考の展開としてとらえ、「空間主義とはなにか」という問いに対する回答を追求した。 この論文を筆頭とする筆者のこれまでの考察の手法は、主として作家の作品の造形的特徴の観察と、その表現意図の解釈を基本としていた。一方で、フォンターナという作家の生きた時代の政治的・思想的な状況についての分析や、制作活動の基盤となったミラノや、ブエノスアイレスといった都市の社会的な条件についての分析は、博士論文提出以降の課題として残っている。作品に端を発するアプローチのみではなく、より広い視野を持ってこの作家と空間主義についての考察をおこなうことがこれからの筆者の研究には必要とされる。このため、当面のテーマとして扱っていくべきは、フォンターナという作家の形成の背景となった1930 年代のイタリア、ミラノという都市の社会・政治の情勢をふまえた芸術の状況についてであると考えている。これをふまえて筆者は、フォンターナという作家の思想の根幹に関わる可能性のある人物として、1930年代に気鋭の批評家として活躍したエドアルド・ペルシコとの関係に焦点を当てた。ペルシコは1931年にフォンターナの初の個展を企画・構成し、1936年にはこの芸術家の初のモノグラフィーも執筆している。1930年代初頭、アカデミックな表現から離れて自らの道を歩みだしたフォンターナの作品について、最初に高い評価を与え、好意的な批評を執筆したのはこのペルシコであった。建築家でもあったペルシコとの間㊳ エドアルド・ペルシコとの関係から見るルーチョ・フォンターナ
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