鹿島美術研究 年報第32号
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は、そうした前衛芸術特有の自己目的的な造形性だけではなく、モデルへの感情が少なからず潜んでいるのではないだろうか。本研究はキュビスムの後半期にあたる時期に、ピカソの恋人であったエヴァ・グエルの肖像作品の中に、そうした側面が顕著に表れていることに注目し、調査研究を行うものである。本研究が主に扱う1913年から1916年のあいだに制作されたエヴァの肖像作品に、恋人への愛情や喪失感を積極的に読み取ろうとする研究は、ジュゼップ・パラウ・イ・ファブレ『ピカソ キュビスム 1909−1917』(1990年)において、キュビスム作品を編年的に取り上げた際に示唆されるにとどまっており、制作時期の具体的な特定や光学調査にもとづく生成過程の調査など、具体的な研究はまだ行われていない。筆者が所属するポーラ美術館では、2006年に東京文化財研究所の協力のもと、《葡萄の帽子の女》(1913年)のX線調査をはじめとした調査研究を既に行っており、作品の生成過程の一端が明らかになっている。こうした作品の研究を基に、エヴァをモデルとした作品の調査を進めることで、より客観的で具体的な研究を行うことができるだろう。構想ピカソが初めてエヴァをモデルに描いた、官能的な雰囲気を漂わせる《椅子に座るシュミーズの女》(1913年秋)は、2013年に個人コレクターからメトロポリタン美術館に寄贈された作品であり、2014年から同美術館で開催する「キュビスム」展を皮切りに、本格的な調査が進められることが予想される。今後はこの調査の結果を踏まえ、調査に関わった研究者との交流をすすめていくことが課題である。《葡萄の帽子の女》は、この《椅子に座るシュミーズの女》で試みられた表現を踏まえ、より単純化した姿で制作された頭部像である。《椅子に座るシュミーズの女》に至る準備習作からも、この作品が《葡萄の帽子の女》と同様に、立体オブジェを基に制作されたことがうかがわれる。裸体像と着衣の頭部像という違いはあるものの、両者の表現やその生成過程は遠いものではない。いずれも、エヴァに対する幸福な愛情に満ちた作品であり、本研究においてX線調査の分析も含めつつ、エヴァを示す象徴的なモティーフなど、両作品に関連する要素を見出したい。また、宮崎県立美術館が収蔵する《肘掛け椅子のベルベット帽の女と鳩》(1915−16年)は、エヴァの没後に、彼女への鎮魂の意味を込めて制作された作品である可能性の高い重要作にもかかわらず、これまで詳細な調査と研究が進められてこなかっ

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