鹿島美術研究 年報第33号
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上野リチとブルーノ・タウト―ジャポニスムの観点から―これまでの研究では、個々の作例について図像学的な考察がなされながらも、時期による群像構成の特徴やその変遷までは明らかにされてこなかった。考察対象となる作例数が限られていたこと、そして各作例の年代観が定まっていなかったことがその要因であったと言える。本研究では近年新たに見出された作例についても考察の対象とする。そして図像だけでなく、様式や制作地についても詳細な分析を行ったうえで、図像やその思想的背景の変遷も捉えてゆく。半跏思惟像を含む三国時代の群像構成について、弥勒上生・下生の両信仰に関わる可能性が指摘されているが、中国・敦煌莫高窟では、隋時代の弥勒浄土変がいずれも弥勒上生経変相図であるのに対し、初唐に入ると上生経・下生経の両方を含む変相図が現れることが指摘されている。もっとも、敦煌の弥勒浄土変に表される弥勒菩薩は交脚像に表されるのが通例であり、この坐勢の違いも大きな問題とされている。本研究では、三国時代の磨崖仏に表される図像と中国の弥勒経変相図とを比較することで、三国時代の図像成立の背景となる信仰の性格(交脚菩薩の図像が受容されなかった背景など)を考えるための手がかりを得たい。以上のように、朝鮮三国時代の半跏思惟像と弥勒信仰との関わりを図像上から考察することは、三国時代の半跏思惟像への信仰の実態を明らかにするだけでなく、半跏思惟像の尊格をめぐる問題に新たな視点を提示することに繋がるだろう。と同時に、飛鳥時代の半跏思惟像の思想的背景や、弥勒信仰の実態を考える上でも重要な視点となるはずである。研究者:千葉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程飛田清佳ヨーゼフ・ホフマンとともにウィーン工房をおこしたコロマン・モーザー(1868-1918)の《三人の女性の屏風》(1906)をはじめ、上野リチが1917年にウィーン美術工芸学校を卒業し、工房に入所した際には、アーツアンドクラフツ運動とともに、ジャポニスムの影響も脈々と受け継がれていた。上野伊三郎、リチ夫妻の作品、資料の多くは2006年、夫妻が1963年に創設したインターナショナルデザイン研究所の後身である京都インターアクト美術学校から京都国立近代美術館に寄贈された。これを受け2009年に同美術館で開催された展覧会を契機に、笠原一人(2010)や山野英嗣―86―

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