鹿島美術研究 年報第33号
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中世における冥府彫像の成立と展開紀後半から活発に行われていたヨーロッパからの建築、デザインの一方的な輸入とは一線を画す、日本国内での受容と変容という現象の一端を明らかにすることを目的とする。池田祐子(2002)のムテジウス論では、ヨーロッパ市場向けの日本の工芸品やジャポニスム、そしてその影響を受けたアール・ヌーヴォーおよびユーゲントシュティルのデザインと、日本本来の美意識とされるものとの差に言及している。本研究はその差異の日本における発現や受容のあり方にもつながる重要性をもちうると考える。研究者:上原仏教美術館学芸員意義・価値浄土教美術における先行研究は阿弥陀如来に言及したものが大半を占める。その一方で、地獄に関する作例の研究も行われてきたが、その多くは「地獄絵」、「六道絵」、「十王図」などの絵画作例が中心となっている感がある。しかし、地獄の主尊格である閻魔王をはじめ、冥府彫像の確認件数や先行研究は増加の傾向にあり、研究の基盤は整いつつある。群像である冥府彫像を安置するために出現した閻魔堂の後壁画には、地獄絵や蘇生譚が描かれるなど、閻魔堂は現世に仮の冥府を表出する場であったことが指摘されている(注)。それは、西方極楽浄土の表出を目的とした阿弥陀堂に準ずる重要な研究対象であると思われるが、中世の閻魔堂が現存しないため、阿弥陀堂に比べ認知されてこなかったというのが現状ではないかと思われる。本研究は浄土教美術における冥府彫像と閻魔堂の再評価を行うという意味でも意義のある研究だと考える。構想冥府彫像の成立と展開というテーマに対しては、尊像構成ごとに分類し、その影響関係を整理することが有効な研究方法ではないかと考える。現存する冥府彫像は、大きく分けて以下の構成に分類が可能ではないかと想定している。(Ⅰ)独尊の閻魔天(Ⅱ) 閻魔王像(もしくは閻魔天)を中尊とする五尊形式(閻魔王・泰山府君・五道大神・司命・司録)―88―森田龍磨

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