「遺影」に見る死者表象―岩手県下の供養絵額を中心に―や技術ではなく、学問領域として確立させる嚆矢として非常に意義のあるものであり、また、それらを学びたいという若者、既に美術館にて教育活動を始めている若手専門員の基礎資料として、大変な価値がある。構想としては、もっとも美術館教育の変化が大きかったと言われる1970年~2000年を中心に、オーラルヒストリーの手法を用いて、美術館教育の先駆者へのインタビューを実施。書き起こしを行うとともに、関係資料を収集し、それらを分析し、その「変化」がどのようなものだったのかを考察する。また、美術史的事件や社会教育に関する出来事、社会情勢などと併記した美術館教育に関する年表を作成し、その変化を概観できるようにする。最後に、これらを総合的に分析、美術館教育の理念とはどのようなものであるかを考察する。研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程本研究においては、「遺影」という従来の美術史では捉えきれないイメージを、供養絵額から家族写真に至るまでの展開を手がかりに、民俗学や社会学など人文知を綜合的に援用しつつ、広く視覚表象研究という立場から追究する。死は、日常にあって身近に感得される機会は少なく、捉えがたいイメージを持っている。しかし、一度大きな災害を経験し、未曾有の惨状を目の当たりにした時、誰しも剥き出しの「いのち」の問題に向き合わざるを得ない。2011年の東日本大震災、および福島県の原発事故はその象徴的な出来事であった。今、私たちは日々を死者とともに生きている、或いは死者によって生かされているという感覚を研ぎ澄ますことが、何よりも必要である。死は生の延長線上にあるに過ぎず、従ってそこでも死者は現世と変わらぬ生活を営んでいる。柳田國男は、そうした確たる願いを表象した素朴な絵画の存在を紀行文に書き留めている。これらの絵画は、2001年に遠野市立博物館の企画展で初めて供養絵額と命名された。供養絵額においては、生者と死者との間の心的、物理的な距離が極めて近く想定されている。その生者と死者とが交歓する情景から、私たちは死を徒らに遠ざけることなく、死者と共生しようとする死生観を読み取ることができる。それは私たち自身の生を充足させ、ひいては無縁社会を打開する道筋を考える上で、大きな学びの契機を提供するであろう。そしてさらに、そこに描かれる群像表現から、日本―92―三宅翔士
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