鹿島美術研究 年報第33号
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レックが残したポスターはどれもよく知られているものの、わずか30点程度にすぎない。シェレは植字工の父をもち、持ち前のデッサン力を活かして国立デッサン学校で学び、石版画職人として工房を構え、イギリスから印刷機を導入して広告ポスター分野で同時代に並ぶもののない成功を収めた。一方、ロートレックは貴族階級の出身で幼い頃から美術に親しみ、ファン・ゴッホやピエール・ボナールなどナビ派の画家たちと交流し、またビングの店「アール・ヌーヴォー」で日本美術品や同時代のジャポニスムの作例を目にする、恵まれた環境にあった。杉山さんは、ロートレックのポスター作品にみられるジャポニスムの革新性を真に理解するには、ポスター美術の先達シェレのポスターにも確認されるジャポニスムの検証は欠かせないとする。そして、シェレの死後の売立目録による彼の旧蔵作品中にあった日本美術品の特定、商品ラベルを彼に注文した香水製造業者リンメルの著作中のシェレの挿絵に見られる日本の髪型見本帳からの模写モティーフの確認、あるいは、パトロンであったジョゼフ・ヴィッタ男爵の収集品の売立目録や1934年のシェレ美術館開催の「中国および日本の美術品展」図録の調査、さらに19世紀の美術批評にみられる日本美術の発見者、ジャポニスムの作家シェレというイメージを確認する作業を丹念に行った。これより、ロートレックのポスターにおいてジャポニスムの特徴とされる要素―素早い即興によるしなやかな線描、対比的な配色、モティーフや動作の単純化など―は、既にシェレの作品に認められるとし、最終的に、フランスのポスター芸術の隆盛における両者の立場の相違―ポスターを絵画と並列するアーチスト活動の一環としたロートレック、ポスター作家として広告媒体の枠組みの中で芸術性を追求したシェレ―を明らかにした。よって、鹿島美術財団賞にふさわしい優れた研究であると判断される。また、優秀者の奈良澤由美さんは、9世紀以前に類例のない南仏ナルボンヌの大理石製の通称「聖墳墓のメモリア」の精緻な観察分析とイェルサレムの聖墳墓に関する各種図像や復元との関係性を再検討し、その模型の古代末ナルボンヌへの伝播について新仮説を導き出したことが評価される。(注)研究者の課題名は選考時のものです。―17―(文責:小佐野重利選考委員)

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