鹿島美術研究 年報第33号
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の絵画史のヴィジョンにおいても意義深く価値がある。本研究を実施するにあたって、海外にあるピカソの裸婦像や人物像作品の実見と調査、ピカソのアーカイヴス調査、ピカソが参照した過去の芸術に関する調査、メランコリーやアノミー、ピカソの当時の心理的状態との関わりについての調査を構想している。以下に具体的内容を記す。本研究の中心になる《座る二人の裸婦》(1920年、Z.IV, no.217)について、所蔵先のノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館(デュッセルドルフ)に調査依頼を申し出て、作品の実見と本作品に関わる資料等を入手し、入手の経緯や作品の来歴、掲載文献、作品への記述、モデルの問題等を調べる。顔の表情について、この作品と同主題の作品でオルセー美術館所蔵の《大水浴者》(1921年、Z.IV, no.329)、パリのピカソ美術館にある人物画《踊り》(1921年、Z.XXX, no.270)、《手紙を読む二人》(1921年、MPP72)や妻オルガの肖像画《オルガの肖像(考え込むオルガ)》(1923年、Z.V, no.38)等と比較検証する。ピカソのアーカイヴス調査では、パリのピカソ美術館とCentre historique des Archives nationalesが保管しているピカソのアーカイヴスの中から、ピカソのクラシック時代に関わる手紙、アドレス帳、医療関係の資料、妻オルガやヌードの写真等を調査する。フランソワーズ・ジローの回想によれば、精神分析医ジャック・ラカンはピカソの主治医だったので、ピカソのアドレス帳や医療関係の資料にラカンとの関わりがいつ頃からあるのかを調べる。ラカンの精神分析も取り入れてピカソの上記作品《座る二人の裸婦》を読解するための資料にする。ピカソは古代ギリシア・ローマ美術の彫刻から多くのインスピレーションを受けている。パルテノン神殿東破風彫刻《二女神(ディオネとアフロディテ?ないしパルカ)》やヘレニズム期ローマ彫刻《棘を抜く少年(通称スピナリオ)》は、彼が人体表現に援用した着想源である。しかし、ケネス・クラークやクリストファー・グリーンによれば、ピカソは古代ギリシア陶器や鏡に描かれた裸体像から着想を得ていると指摘している(ピカソがそれらの図像から直接影響を受けたかどうかは詳細を欠く)。ピカソはイタリア旅行(1917年)やイギリス旅行(1919年)、あるいは彼の制作活動の拠点のパリにあるルーヴル美術館等で古代ギリシア陶器を見る機会が多くあったはずなので、まず各博物館や美術館の所蔵品目録等で調査し当たりをつける。また、モントーバンにあるアングル美術館の古代ギリシア陶器コレクションの調査を行う。ア―31―

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