鹿島美術研究 年報第33号
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本という総体として『パリ1937』を捉えなおす必要性がある。2011/12年の展覧会「藤田嗣治と愛書都市パリ」ではそのことが明確に提示されている。この展覧会を契機として、挿画・エッセイの個々の作品の研究を進めるにしたがって、『パリ1937』の出版の経緯や目的の解明が背景として必要であることが認識されるようになった。なぜ、62人にのぼる挿画家と31人もの執筆者がいるのか、その人選には同時代に活躍していたユダヤ系や外国人は少なく、決して著名とはいえない作家も多く含まれている。編集および出版を手がけたダラニェスは、文化人の強固なネットワークをもち、時代を代表するような著名な画家が挿絵を担当する挿画本を多数手がけてきた。そうしたダラニェスの業績との関係からも『パリ1937』の位置づけを試みるべきであろう。また、編集・出版者個人の活動との関わりのみならず、時代的・社会的背景の影響も重要だと思われる。その根拠には第二次世界大戦前夜の1937年が出版年であること、おりしもこの年にはパリ万国博覧会が開催されたことがあげられる。作品の題名に「パリ」「1937」をあえて打ち出していることの意味を踏まえれば、こうした時代的・社会的背景を無縁なものと考えることは難しく、むしろ、そこに出版の経緯を解明するヒントがあると推測する。『パリ1937』が生まれた背景や事情の解明に関する調査研究は、この作品に掲載されている挿画作品とエッセイの研究を大きく進展させるほか、時代的・社会的背景を踏まえたうえで挿画本の歴史に位置づけし直すという意義を持つ。それにより、この挿画本を通じ、画家・文筆家・出版に携わる人々の活動の様子を浮き上がらせることができるのではないだろうか。それは、挿画本や絵画作品を中心とした同時代の美術史研究にも資することにもなろう。多角的に作品分析することで、『パリ1937』が擁する豊かな量の情報を明らかにし、一冊の挿画本としても個別の挿画とエッセイについても作品解釈の可能性を広げることになり、そこに本研究の価値があるのではないだろうか。『パリ1937』の研究から関連する他の挿画本や美術作品の研究へと結びつけることは大いに可能だと考えており、それを将来的には作品展示へと展開することも考えている。―33―

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