⑥日清戦争期における小林清親の諷刺画研究―『日本万歳百撰百笑』を中心に―研究者:吹田市立博物館学芸員市村茉梨「意義」これまで、美術史的視点から日清戦争錦絵の研究はほぼおこなわれてこなかった。その要因の一つとして、長年、戦争錦絵は美術的価値が低いものとみなされていたという背景がある。近年、そのような見解が見直され、研究が進められている。清親の日清戦争錦絵においても同様であり、研究対象として採用され始めた。筆者は、清親の日清戦争期における諷刺画研究を行うことで、小林清親研究へ新たな視点を加えるとともに、より多くの研究がおこなわれることで、清親の作品のみならず、日清戦争錦絵自体が再評価されることを期待する。「価値」『日清戦争百撰百笑』シリーズは、小林清親の研究を進める上で無視することのできない重要な作品のひとつである。研究を進めることで、作品の再評価のみならず、清親の諷刺画の制作活動について新たな見解を示すことができると考える。「構想」①「『日清戦争百撰百笑』シリーズにおける特徴」『日清戦争百撰百笑』100図の揃物であり、現在、50図確認することができる。まずは、この50図について、モチーフやその描写表現および、画中の詞書などを調査し、リスト化することで、その全貌を把握し、シリーズの特徴を見出す。また、日露戦争期(1905)に発表された『日本萬歳 百撰百笑』と比較することで、描写や構図など、表現の変化の有無について調査をおこない、近代戦争を描いた諷刺画の変遷を考察する。②「本シリーズの制作背景について」本シリーズを描くうえで、清親が参考にした情報を明らかにする。先行研究において、日清戦争錦絵を描いた絵師たちは戦地を実見せず、新聞紙面の報道をもとに錦絵を描いていたという指摘がなされている。当時、最も詳細に戦局を報じていたのは新聞であった。戦地での取材活動を正式に許された新聞社は、数多くの自社の記者たちを従軍記者として各地に派遣していた。そのため、タイムラグは数日あったものの、最速かつ臨場感ある情報が新聞紙面に掲載されていた。だからこそ、新聞は、国民が最も詳細に戦地の情景を知る手段であったといえる。清親もまた、他の絵師同様、戦地に赴くことなく錦絵を制作している。だからこそ、清親にとっても、重要な情報源のひとつであったと考えられる。そこで、日清戦争期―34―
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