鹿島美術研究 年報第33号
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⑨マン・レイの《アングルのヴァイオリン》は前衛的古典主義なのかた「十字架を背負った幼子イエス」の成立と伝播を考察することによって、単なるモチーフ論にとどまらず、宗教や文学との関わりを探る包括的な研究へと広げていきたいと考えている。研究者: 成城大学非常勤講師、 お茶の水女子大学グローバルリーダー研究所特別研究員 しかしながら、その反動として、ロザリンド・クラウスは1977年に発表した「指標論」において、ばらばらに見えた70年代以降の芸術の特徴として「指標性」を提示し、作者の一切の形式的介入が排除され、作品の自律性が崩壊していると主張した。そのとき、クラウスは、「シュルレアリスムの写真的条件」において、写真の指標性を軸に、グリーンバーグに批判されていたシュルレアリスムを読み返し、この芸術運動を美術史において再評価することを忘れなかった。それにより、シュルレアリスム芸術は再考されるようになった。たとえば、日本では文学研究から、今まで取り上げられることがまれであったフランス以外の作家や芸術家を含んだシュルレアリストについての研究書が「シュルレアリスムの25時」シリーズから出版されるなどし、シュルレアリスム芸術のコーパスが1924年、アンドレ・ブルトンが中心となりフランスで誕生したシュルレアリスムは、文学的側面においては多くの議論がなされてきた。しかし、その芸術的側面となると話は別である。美術批評家クレメント・グリーンバーグは、1940年に発表した論文「さらに新たなるラオコオンに向かって」において、芸術とは他の領域から完全に独立し、媒体の固有性の追究によって自律すべきだと述べた。そして、絵画であれば平面性が重要視されるべきであり、それがもっとも遂行されているとして抽象表現主義を擁護した。40年代以降、このアメリカ初の独自の芸術運動は国際的に力を持つようになり、芸術の中心地はパリからアメリカに移動した。その一方、グリーンバーグは、形式ではなく主題に回帰しているという理由で、イリュージョニスティックな特徴を持つフランス発のシュルレアリスム芸術を厳しく非難した。それ以後、この芸術運動はモダニズム芸術の系譜からはずされ、その立場を失うこととなった。―38―木水千里

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