⑪プレ・ロマネスク期写本の物語イニシアルの研究の興味は、ますます高まっていくものと考えられる。本研究は、美術史学独自の問題意識、すなわち様式論的な造形分析が、歴史学が中心となる地域研究に対して有する意味を考える上で、一つの問題を提起することになるだろう。研究者:東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程プレ・ロマネスク写本の「物語イニシアル(historiated initial; historisierte Initiale, initiale historiée)」は、写本画の美術史的研究に於いて等閑視されてきた分野といえる。従来、写本画研究の泰斗らによりカロリング・ルネサンス前夜とロマネスク期とのイニシアルの間に類似性が示唆されてきたにもかかわらず(NORDENFALK 1957, PÄCHT 1963 et al.)、その具体的な影響関係は未だ説明されないままである。本研究ではプレ・ロマネスク期の二つの重要な写本制作地で成立した一連の物語イニシアルを取り上げ比較分析することで、それらの時代的・地域的特徴を明らかにし、ロマネスク芸術生成の一端の解明を試みる。Ⅰ.研究意義コルビー修道院はメロヴィング朝期からカロリング朝期にかけて、コルヴァイ、ヴェルデン両修道院はカロリング朝期からオットー朝期にかけてそれぞれ、修道院附属図書室を備える写本制作の中心地として繁栄した。その為、文献学・古文書学の側からの写本研究は多く(GANZ 1990, HOFFMANN 2012 et al.)、制作地・制作年代が既に同定されている写本が一定数、目録化されている。しかしながら、当該地域で制作された写本の物語イニシアルについては、両者に修道士や写本の移動が想定されるという歴史的背景にもかかわらず、地域ごとの詳細な様式分析も、また地域間の具体的影響関係の考察も未だ充分ではない。従って本研究では、以下の二つの課題に取り組むことで、初期・盛期中世の写本画研究に一石を投じたい。第一に、a)該当地域の写本画の様式変遷の研究である。コルビー及びヴェストファーレン周辺の写本の多岐にわたる物語イニシアルを収集・一覧化し、その地域的・時代的特徴を相対化することで、従来は当該地域に於ける美術史的位置づけも十分ではなかった写本毎の個別研究への貢献も期待できる。第二に、b)ロマネスク芸術の生成のケース・スタディとして物語イニシアルを取り扱う。プレ・ロマネスク期の写本の物語イニシアルを通じ―41―安藤さやか
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