鹿島美術研究 年報第33号
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⑬江戸時代の洋風画における秋田蘭画の再検討―成立・継承・受容をめぐって―面、ロダンが試みた他の表現が当時の日本の作家たちにどのように受けとめられたかに対してほとんど関心が払われなかった。しかしながら、高村をはじめとする近代日本の作品には、ロダン芸術をよく咀嚼したうえでの独自の解釈も加えられており、受容の仕方に能動的な姿勢が認められ、従来のように単なる日本彫刻へのロダン芸術の適用という見方では国内におけるロダニズムの全容は到底捉えきれるものではない。たとえば先般、筆者が参加した『国際シンポジウム“The Study of Modern Japanese Sculpture”』(2015年7月17日、18日/武蔵野美術大学)において、ロダンと高村光太郎が制作した手の作品が討議の対象となり、発表者の一人から、ロダンはあくまでも手を人体の一部分とし、全体と等価とみなしているのに対して、高村は手の中に人体全体のあらゆる要素を投げ込むようにして制作していた(すなわち手=全体)という見解が示され、両者の自然観の相違がその背景にあることが明瞭となってきた。このように、日本におけるロダニズムの受容はロダンの直輸入でなく、日本国内で変化を遂げており、そうした過程の中に、日本彫刻の特性を解明する鍵が潜んでいると思われるのである。近代彫刻史研究は近年かつて無いほど盛んになっている一方で、研究者の関心が多様化するにともない、ロダンの存在が小さく扱われるようになってきた印象があるが、以上のように、ロダンと近代日本彫刻の関係を改めて問うことはきわめて重要であり、日本彫刻研究への理解を深めるうえで、本研究は有意義であると思われる。また、国内にあるロダン作品は来歴が様々であるものの、ブロンズ鋳造については、オリジナル、複製の確認があいまいであることが多いうえ、情報も共有されていない。このたび国内のロダン作品の調査を行う過程で、ブロンズ鋳造に精通する彫刻家の黒川弘毅氏(武蔵野美術大学彫刻学科教授)、ロダン研究の第一人者である髙橋幸次氏(日本大学芸術学部教授)の助言を受けながら作品の来歴を調査し、今後の緻密なロダン研究を可能とする足場を構築する。研究者:サントリー美術館学芸員18世紀の半ば、秋田藩士小田野直武(1749~80)や秋田藩主佐竹曙山(1748~85)―43―内田洸

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