鹿島美術研究 年報第33号
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を中心に描かれた秋田蘭画に関しては、日本画家平福百穗(1877~1933)が『日本洋画の曙光』(昭和5年)を上梓して以来、幅広いジャンルで研究が進められてきた。しかし、現存作例や同時代史料が少ないゆえか、その成立の背景や同時代の絵師との関係性、また次世代への継承、その評価と受容などについては、十全には解明されておらず、残されている課題は多い。近年、山本丈志氏や今橋理子氏の研究によって事実関係の再検証や文化的背景の考察がなされ、秋田蘭画研究に新たな光をあてる気運が高まっている。例えば、山本丈志氏は「秋田蘭画・小田野直武をとりまくイメージ」『東北の洋風画―融合する東西の美意識―』(秋田県立近代美術館、1999年)などの論考で、秋田蘭画の発端として語られる平賀源内と若き直武の角館での邂逅について、根拠とされてきた源内の書状にある「武助」は、直武とは別人であることを明らかにした。また、山本氏は、江戸において直武と曙山が協力して洋画法を学んだという定説についても再考の余地があるとしている。今橋理子氏は、『秋田蘭画の近代―小田野直武「不忍池図」を読む』(東京大学出版会、2009年)で、近代の秋田蘭画の評価を検討し、また、直武の「不忍池図」(秋田県立近代美術館)や秋田蘭画の唐美人図について、中国絵画の美人画などとの関わりを説き、新たな作品解釈の可能性を広げた。本研究は、先行研究をふまえながら、直武や曙山、角館城代佐竹義躬(1749~1800)、秋田藩士田代忠国(1757~1830)らの作品分析を行い、また同時代史料の検証とあわせて、秋田蘭画の実像を考察し、その成立と継承、評価と受容を再検証する試みである。成立に関しては、南蘋派、特に直武が江戸で出会ったと考えられる宋紫石からの影響が語られ、『秋田蘭画とその時代展』(秋田市立千秋美術館、2007年)などで具体的に示されているが、直武が南蘋派を学んだ時期(角館か江戸か)をふくめ、改めてその関係を精査する必要があるだろう。直武と近しい時代には、横手城代に仕えた佐々木原善のような南蘋派の絵師が秋田藩におり、秋田藩での南蘋派の受容についても検討課題である。また、「西洋絵画の影響」があるとされるが、秋田蘭画の洋風表現がヨーロッパか中国・朝鮮半島経由か、あるいは両方か、その見極めも求められている。継承に関しては、直武と曙山の関係について、二人の作風を比較検討し、無落款の作品について比定を行う。また、秋田蘭画風の作品を残す久留米藩士の太田洞玉といった同時代の絵師たちや、直武に学んだという司馬江漢(1747~1818)ら次の世代の―44―

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