鹿島美術研究 年報第33号
60/128

⑭イメージ分析に基づく古代ケルトの貨幣図像資料の研究―スペイン出土作例を中心に―絵師との関係性をそれぞれ検証する必要があるだろう。また、司馬江漢に引き継がれ、やがて、幕末の歌川広重の名所絵などに秋田蘭画のいわゆる「近接拡大構図」が影響を与えたといった言説は妥当なのか。評価と受容に関しては、平福百穂が秋田蘭画を顕彰した背景を考察する。児島薫氏が指摘するように、『日本洋画の曙光』が著されたのは、日清・日露戦争を経て日本がアジアに進出してゆく時代であり、以後、秋田蘭画が近代以前に西洋から影響を受けた「洋風画」のさきがけとして位置づけられ、日本近代洋画の始まりとして語られることとなった。しかし、秋田蘭画は、当時「唐画」(秋田藩士須藤茂盛の記述)とも呼ばれ、画題・画法等からみても必ずしも「洋風」の言葉だけでは片付けられない要素を有している。本研究によって、秋田蘭画の成立・継承・評価と受容について総合的に考察を行い、その特質を見直してゆく。この作業が、秋田蘭画研究のみにとどまらず、江戸時代の洋風画史および近代洋画史における秋田蘭画の位置づけ、さらには、近世から近代にかけての西洋絵画の受容や日本絵画と西洋絵画の関係性について、再検証するきっかけとなることを期待する。研究者:京都女子大学非常勤講師本研究の目的は、貨幣を主な史料として、古代ケルト美術の特徴を考察することにあるが、特に従来のケルト研究において不十分であった以下の2点を重点的に補充する。①貨幣に基づく古代ケルト美術史構築の可能性ケルトの貨幣は、傭兵が報酬として持ち帰ったり、交易によって手に入れた、マケドニア王フィリッポス2世のスタテル金貨、テトラドラクマ銀貨、マルセイユのドラクマ銀貨、ローマの独裁官スラのデナリウス銀貨などを模倣することから始まった。初めは図像はもちろん、銘まで忠実に模倣していたが、次第に、図像はケルト風に様式化され、独自の要素が付け加えられていった。ケルト美術における、ギリシア・ローマを含む他民族からの影響は彫像や装飾文様―45―疋田隆康

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る