鹿島美術研究 年報第33号
65/128

⑰明治期から昭和初期における「日本書道史」形成史―「日本美術史」形成と比較して―建築家というイメージで知られている。しかし、同時に過去から多くを学び、それを自身の設計に活かしていた。本研究では、過去の様式家具に影響を受けながらも、それを新しい形に変えて作品を生み出す手法に着目し、伝統と革新をうまく融合させた彼の制作態度に光を当てることができると思われる。さらに、本研究はアール・ヌーヴォーの中心地でありながらも、日本ではあまり研究対象とされてこなかったベルギーの装飾美術を扱うため、当時の同国の建築家や装飾家の活動についても適宜触れ、今後の同時代の研究に貢献できる広がりのあるものとしたい。研究者:書道史家、東京学芸大学大学院修了この近代的な「美術」概念の境界に位置していたのが「書」の存在である。近代美術制度の中で、近世までの「書画」という枠組みが「絵画」と「書」に分離し、「書」は「美術」の枠組みから除外されていくという流れは、既に日本近代美術史の定説となった感がある。当時の「美術」概念における「書」の位置の推移を考察していくことは、「美術」概念の揺らぎを探る指標となり得る点で重要である。また、「美術」誕生による「書」の環境の変容は、書道史研究においても大きな課題である。しかし、「書」の位置を中心とした研究は、美術史研究では敬遠されがちで、かつ書道史研究では見過ごされがちであり、長い間課題として残されてきた。ここに「書」と「美術」の距離感が如実に表れているようにも思われる。筆者はこれまで、展覧会、団体、学校、博物館など、近代美術諸制度における「書」の位置を検討してきた。また、小山正太郎と岡倉天心との間で交わされた、いわゆる「書ハ美術ナラス」論争における書道史上の意義とその影響を考察した。これらの研究により、明治期以降の書家達の多くが、当時の「書」の位置を反動として、「書」1990年頃から日本で盛んとなった近代美術制度史の研究において、「美術」という語が明治5年に誕生した後に、「美術」概念の明確化・制度化が進んだことが言及されてきた。近年は、「美術」という語を相対化し、日本および東アジア各国の「美術」概念の波及や、「日本美術史」自体を見直す動向が見受けられる。―50―柳田さやか

元のページ  ../index.html#65

このブックを見る