鹿島美術研究 年報第33号
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⑱美術とエネルギーの侵入―ヤノベ・ケンジにおける危機と希望の表現―は「美術」であると主張していたことが判明した。そこで本研究では、これまでの研究を発展させて、「日本書道史」が「日本美術史」形成に伴い、いつどのように形成されてきたのかを考察したい。「日本書道史」形成史は、書道史研究においてこれまで十分に検討されてこなかった課題である。筆者はここ数年、「日本書道史」形成の萌芽として、小杉榲邨の業績に注目してきた。小杉が明治28年に著した『大日本美術史』は、「美術」の名を冠し、通史として書の歴史を綴った最初期の書物と考えられる。また、小杉は同時期に東京美術学校において、「書学」の講義で書の歴史を教授していたことも明らかになった。本研究ではこれを踏まえ、「日本書道史」形成初期の明治20年代から、初の書道全集である平凡社『書道全集』が刊行された昭和初期における「日本書道史」形成史の経緯とその背景を探りたい。研究の方法として、まず明治期以降の美術史著述・美術研究雑誌・美術全集において、「書」を包含しているか否かを整理する。次に、書道史著述・書道研究雑誌・書道全集を体系的に蒐集し、両者を比較することによって、「日本書道史」が「日本美術史」とどのような類似や差異、特徴を持ちながら形成されたのかを考察する。本研究の結果、明治20年代に「書」が「美術」から除外される向きが強まった反動で、一部の有識者の手によって「日本美術史」として「日本書道史」が生まれ、その後、大正・昭和期において書家兼書道史研究者の手による「日本書道史」が「美術」から独立して生まれた経緯が明らかになると想定している。研究者:香港城市大學人文社會科學院亞洲及國際學系助理教授本研究では、ヤノベ・ケンジという日本の現代美術の代表者の一人の総合的な研究を目的とする。そのために、現在、京都造形大学にあるヤノベ主催の工房ウルトラファクトリーで作品制作記録データや展示アーカイヴの調査を行う。それにあわせて、アーティストとそのチームに対するインタービューや作業見学も実施する。さらに、現代における美術批評や文化評論におけるヤノベの位置を第二次資料の収集を通して確認する。ヤノベ作品はもっとも初期の物から常に様々な組み合わせで後のプロジェ―51― Dennitza GABRAKOVA

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