鹿島美術研究 年報第33号
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ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのカラヴァッジスム受容に関する研究・価値研究者:国立西洋美術館 研究補佐員ラ・トゥールは死後間もなく忘れ去られ、20世紀初頭に再発見されたことは美術史上よく知られている。本格的なラ・トゥール研究が1915年のフォスによる再発見(1915, VOSS, Archiv für Kunstgeschite, pp.121-123.)から始動したとするならば、この画家の研究が開始して100年が経過したことになる。しかし、画家の生涯やその作品に関する情報の欠落は十分に回復しているとは言えない。ラ・トゥールをめぐる未解決の問題は数多くあり、イタリア修業やカラヴァッジスム受容をめぐる問題もそのひとつであり、それはこの画家の画風形成に関する最も重要な問題であろう。ラ・トゥールがいかにしてカラヴァッジスムを受容したかを考える際に、修業時代のイタリア滞在の有無は大きな論点となる。イタリア旅行説を主張するテュイリエ(1992, THUILLIER, Georges de La Tour, Flammarion)やローザンベール(1973, ROSENBERG, Georges de La Tour: vie et œuvre, Office du livre)に対して、キュザン(1997, Paris: Expo. Georges de La Tour, Grand Palais, RMN)やニコルソン(1974, NICOLSON, Georges de La Tour, Phaidon)は否定的である。研究者による意見はさまざまであるが、記録が欠落し、実証的な検証が困難であることから深く議論はされていないのが現状である。このような現状を鑑みると、この研究によって導き出せる知見は、ラ・トゥール研究において決して小さくない貢献になるだろうと考えられる。また同時に、本研究は、今までカラヴァッジスムという動向がいかに単純に捉えられていたかを浮き彫りにすることになる。特に、カラヴァッジスムの伝播において版画が果たした役割について言及することは、今後カラヴァッジスム受容についてより具体的な研究がなされることを促す一因となるのではないか。以上に述べたことから、本研究は、ラ・トゥール研究においてはもちろん、カラヴァッジスムに関する理解をより深化させることができるという点においても、意義のあるものであると確信している。・構想筆者が一年間で達成したいのは、ラ・トゥールの作品に、いかにしてカラヴァッジスムが介入してきたか、また、なぜそれが他の画家よりも数十年遅れているのかとい―56―秋元優季

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