鹿島美術研究 年報第33号
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久保田米僊研究―明治期京都画壇における「日本画」と近代社会の関係―写真研究にも同様の視点が必要であることは疑いを入れない。こうした研究状況をふまえた上で、本研究では「肖像写真」という特定のジャンルに注目し、海外から紹介された作品と批評がどのように受容され、日本の写真表現に具体的にどのような影響を与えたのかを分析する。金丸重嶺『新興写真の作り方』(1932年)に挙げられた海外参考文献リストを手がかりに、日本に輸入された欧米の写真集や写真技法解説書における肖像写真の作例を調査し、それらが日本の写真雑誌にどのように転用されたのか、そして日本の写真家の作品の様式とどのような関連が見られるかを明らかにする。さらには、実際の作例だけでなく、欧米のモダニズム写真から刺激を受けて、「肖像写真とはどうあるべきか?」という問いが日本の写真界でどのように議論されたかを考察する。本研究の意義は大きく次の3点に要約できる。第一に1930年代の日本写真史における海外作品の受容過程の一端を明らかにすることで、これまでの写真史研究で不十分だった領域に新たな知見をもたらされることが予想される。第二に、肖像写真というジャンルに注目することで、日本におけるこれまでの作家主義的な写真史研究を補完する。第三に、モダニズム写真における肖像写真の位置づけについて考察することで、写真史研究と写真理論の融合を模索する。ヴァルター・ベンヤミンやロラン・バルトの著作を挙げるまでもなく、代表的な写真論では肖像写真の考察がその中心的な位置を占めてきた。しかしそれらの理論的考察が、写真史研究に対してこれまで十分に応用されてきたとは言い難い。日本の研究者による著作の中では多木浩二の『肖像写真』がその重要な例外であるが、同書で論じられているのは主に海外の作例である。本研究では日本の新興写真における肖像写真について、様々な写真理論を参照しながら考察することで、「肖像とは何か」という原理的な問題を考えるための契機としたい。研究者:京都市学校歴史博物館学芸員江戸期に始まり約250年以上にわたって美術界の中心地のひとつであり続けた京都画壇に関する研究はこれまで数多く行われてきた。そうした中、作品作家論の視点によって近世から近代への画壇の変遷について考える時、重要とされる人物が円山応挙―58―森光彦

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