二〇世紀前半のベトナム美術研究②「安南ルネサンス」研究:ベトナム独自の絵画表現が誕生する1930年前後は、文字改革を中心として文化全般に広がっていった文化運動「安南ルネサンス」が北部を中心に台頭していた。この「安南ルネサンス」が美術の領域に及ぼした影響を実証する。僊において、その作品は決定的に個人的作風を顕著にしている。京都画壇の主流であった円山四条派のみではなく、雪舟や狩野派などの古画、中国絵画、さらには西洋画なども貪欲に学び、流派の枠にとらわれない前衛的な作品が、画家個人の志向を強く反映して作られたことは、日本画の近代化を語るために見直すべき事柄であろう。その他、画壇の東西交流や海外美術の受容など重要なテーマが含まれ、米僊を通じてこれらを考察すれば、明治10年代から20年代の画家が竹内栖鳳ら後の世代にいかに大きな影響を与えたかが明らかになろう。以上が、今回米僊を特に取り上げる理由であり、米僊研究の持つ意義である。研究者:鹿児島大学教育センター専任講師目的とその構想筆者の目的は、フランス統治下、とりわけ1900年から1945年までのベトナム美術史の先行研究を点検・確認し、新たなその見取り図を提示することにある。研究期間内(2016年度)に明らかにしたいことは、次の2つの論題である。①インドシナ美術学校研究:ベトナムにおいて「美術」という言葉が最初に正式に使われたのは、管見の限り1917年であり、辞書に登場するのは1930年代になるのを待たねばならない。「美術的なもの」と、そこから零れ落ちた「その周辺のもの」の存在や、その境界線の確認なしにはベトナム美術の研究は行えない。ベトナム独自の「美術」受容の構造を確認するため、その揺籃とされる学校の制度研究を行う。いずれの論題も、ベトナムの状況を相対化しながら、その美術受容のかたちを検証するため、他の植民地・保護国における「現地芸術」との共時的分析にも目配りをし、また、同じ東アジア圏である日本や中国が、如何に西洋絵画と接し、新しい造形を模索したかという比較考察も含める。―60―二村淳子
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