鹿島美術研究 年報第33号
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本作は、文化2年(1805)に曲亭馬琴による翻訳で出版が始まったものの、版元と馬琴のトラブルによる12年の休止期間を経て二編より高井蘭山翻訳で出版が再開し、天保9年(1838)に全九編で完結している。本研究では、絵手本、水滸伝絵画、北斎の作品を参照しながら研究を進め、本作の典拠の解明および北斎の画業における本作の位置づけを行うことを主目的とする。本作の典拠には、西洋の銅版画、鳥山石燕画『水滸画潜覧』、北尾重政画『梁山一歩談』『天剛垂楊柳』、容與堂刊『李卓吾先生批評忠義水滸伝』の指摘があり、筆者の馬琴所蔵の書物に関しては国文学、日本に招来された水滸伝については、中国文学における研究が進展している。このように、北斎をとりまく水滸伝史料の全容の解明が進んでいるのにも拘らず、北斎の挿絵とそれらの作品の詳細な比較検討は未だなされていないため、改めて調査を行う必要がある。また、読本挿絵の研究においては、絵師が典拠とした絵手本に関する研究が近年進んでいる。これらの研究成果をふまえながら、比較の対象となる作例を洗い出し、和漢の水滸伝絵画や絵手本と本作の図様の比較を行うことで、新たな典拠の発見が期待される。本研究では、多数存在する水滸伝絵画や絵手本と、本作の挿絵の比較検討を行い、典拠の解明を行うことを第一の課題とする。第二の課題として、他の絵師の水滸伝絵画と本作以降の北斎の作品を参照し、他の絵師への影響および、本作の表現の昇華の考察をふまえた、北斎の画業における本作の位置付けを行う。他の絵師への本作の影響に関しては、複数の絵師における事例が報告されている。しかし、充分な比較検討がなされてはいないため、本研究では詳細な比較検討を行うことで新たな可能性を探ると同時に影響の広がりや図様の変容を通覧したい。この成果は、浮世絵界における北斎の位置付けを可能にすると共に、日本における水滸伝絵画の展開の研究に資することができる。本作は、読本挿絵の性格上、風景、怪奇など多岐にわたるジャンルの絵画を含む。北斎は、天保期に錦絵を集中して制作しており、多様な画題の代表作が存在する。従来、「冨嶽三十六景」などの表現において、中国絵画からの影響は指摘されてきたが、その具体的な事例の全容は未詳である。また、文化期を中心に制作された北斎の読本挿絵の画業における位置付けも、前後の作品との比較検討による研究は充分になされているとはいい難い。―67―

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