日本戦後美術とコラージュ―田部光子《プラカード》(1961年)を出発点として―中国小説の翻訳である本作の典拠の調査は、北斎の中国絵画学習の具体的な事例の解明に資する可能性が高く、その結果をふまえて本作の北斎の画業における位置付けを行うことは、晩年の錦絵作品の制作背景の解明にもつながる可能性があり、北斎研究において大きな意義を持つ。さらに本研究の成果は、中国明末に活発化した出版文化の日本への波及、日本国内での出版文化の発展と読本作者と絵師との交流に伴い可能となった、浮世絵師による中国絵画の受容のあり方の事例を示すという観点から、江戸絵画史においても価値がある。研究者:福岡市美術館学芸員田部光子(1933~)は、1957年福岡の前衛美術集団「九州派」の立ち上げから、グループの解散までメンバーとして活動し、1970年代には九州女流画家展を主宰したほか、現在まで旺盛な活動を続ける美術家である。「九州派」については1988年に回顧展が開かれており、その後も戦後の前衛グループの一つとして注目を集めてきたが、作家個人として田部光子の活動及び作品に光が当たったのは2005年栃木県立美術館で開催された「前衛の女性1950-1970」が初めてであった。九州派の文脈、そしてここ10年間においては女性美術家の文脈のなかで、田部光子についての関心は高まりを見せているものの、個々の作品分析は充分とはいいがたい。田部の作品については、これまで九州派初期のアスファルトを用いた初期作品《魚族の怒り》および、1961年という極めて早い時期に社会における女性の役割を問題化したフェミニズム・アートの先駆とも位置づけられるオブジェ作品《人工胎盤》(現存せず。2004年再制作、熊本市現代美術館蔵)についての評価・言及が多かったといえる。しかし、《人工胎盤》について考察するならば、これとともに同じ展覧会(「九州派展」1961年、銀座画廊)にて発表された5点組のコラージュ作品《プラカード》にも触れねばなるまい。筆者は2015年3月に発表した「研究ノート:田部光子研究の現在と《プラカード》(1961年)について」において、本作にコラージュされた印刷物の一部のイメージ・ソースを明らかにすることができたが、その調査は中途にある。そして本作のイメージ分析はこれからである。アフリカ独立、安保闘争、米軍基正路佐知子―68―
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