イタリア・ルネサンス絵画の宝石の象徴性に関する研究―サンドロ・ボッティチェッリ《パラスとケンタウロス》を中心に―15世紀において宝石は、現代のように単なる鉱物の一種として理解されていたわけではなかった。宝石は、古代より薬や護符として用いられていたが、中世を経てルネサンスにおいても、名声をもたらし敵を打ち負かすといった、特別な力があると信じられていた。ヘルメス・トリスメギストスの『15の恒星と15の宝石と15の薬草と15の像』、プリニウス『博物誌』第37巻「宝石」、マルボドゥス『石について』、アルベルトゥス・マグヌス『鉱物論』など、ここで全てを列挙することはできないが、宝石の力について言及する著作は膨大にあり、これらのいくつかは15世紀後半のイタリアにおいても知られていた。フィチーノが著作『三重の生について』の中で、宝石には星辰の力が宿ると言及していることからも明らかなとおり、この時代宝石は、現代の我々とは全く違う視点で理解されていた。研究者:慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学本研究の目的は、サンドロ・ボッティチェッリ《パラスとケンタウロス》に描かれた、花弁に囲まれたピラミッド形のダイヤモンドの胸飾りに着目し、ルネサンス絵画研究の文脈で論じられることがほとんどない宝石論という観点を導入することで、従来看過されてきたこの宝飾品の象徴性を明らかにすることにある。一方で、従来のルネサンスの宝飾品研究では、同時代の肖像画との比較による様式分析や、財産目録等の検証による価格調査、制作技法に関するものが中心であり、こうした、この時代に特有の宝石に対する社会的認識を考慮しつつ、宝飾品の象徴性を論じた研究は、皆無に等しい。加えて、本研究で扱うダイヤモンドの胸飾りは、現存するボッティチェッリの作品では、《パラスとケンタウロス》と《剛毅》のみに表わされ、注目に値するものであるにもかかわらず、この胸飾りに特化した研究はこれまでなされていない。したがって、花弁に囲まれたダイヤモンドを独立した意匠として取り上げ、ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラやバルトロメオ・ディ・ジョヴァンニといった同時代のメディチ家周辺の美術家の作品との比較を行い、当時知られていた宝石論と照らし合わせながら、宝石の象徴性という新たな視点から考察を試みる本研究は、大きな意味を持つと思われる。―71―西川しずか
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