15、6世紀呉派文人画壇の名勝図制作―「石湖図」をめぐって―また、本研究で取り上げる宝石の特別な力に関する言及は、占星術書、魔術書、百科全書など、さまざまなジャンルにまたがっていることもあり、包括的な研究が十分になされているとは言い難い。こうした現状のなかで、筆者が網羅的に収集する古代からルネサンスにかけての宝石に関連する史料は、この分野の研究発展の一助となりうるものと期待される。なお、こうした、宝石の象徴性に関する研究成果は、筆者が執筆準備中である博士論文の一部に組み込まれる予定である。研究者:九州大学大学院人文科学研究院専門研究員本研究は、15、6世紀呉派文人画壇において、文徴明の画技と思想がどのように後の代に受容されていくかを、名勝図制作という観点から明らかにするものである。文徴明が確立した、こんにち「文派」と呼ばれる絵画様式は、以後の中国絵画に多大な影響を及ぼしたのみならず、日本・韓国における文人画様式の発展をも促したことで知られる。特に文徴明の次世代にあたる、陸治(1496~1576)、文嘉(1499~1582)、銭穀(1508~78?)などの呉派文人画家は、彼の絵画様式を受けついだ様々な作品を残している。彼等の多くは、文徴明から直接に画の教示を受けていたと考えられ、画技のみならず、画を描くに際しての考えなども直接に学ぶことができた世代といえる。しかしこれまでの研究において、後の呉派文人が文徴明の絵画様式を受容したことは概説的に述べられてきたものの、各々の画家の受容態度の違い、また思想面において、彼等が文徴明から学んだものが何であったのかなど、未だ十分な考察がなされていない点も多い。本研究では、蘇州西南の名勝、石湖を描いた絵画「石湖図」の研究を中心に、この問題に取り組んでゆく。石湖は、文徴明によって初めて単独で絵画化され、以後多様な石湖図が生み出された。管見の限り、最も多くみられる石湖図は、銭穀《石湖八景図第一冊石湖》(台北故宮博物院蔵)のような、文徴明《石湖清勝図巻》(嘉靖11年【1532】、上海博物館蔵)の構図を明らかに踏襲したものであり、文徴明の拓いた石湖表象の「型」が継承され、石湖図制作を促したことが窺える。また一方では、陸治《石湖図巻》(嘉靖37年【1558】、ボストン美術館蔵)のような、ある程度文徴明画―72―都甲さやか
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