1)近世後期には不明瞭になっていた袈裟の正しい描法が、京都の仏絵師によって一信に指導されていた可能性2)場面に応じた袈裟の描き分け3)戒律を順守する羅漢(僧侶)が持つべきと定められた十八の器物のうち、十六種類が描かれていること本研究では、上記の戒律の文脈とは別に(あるいはその上で)、学僧・大雲が指導した「梵土」という場所が如何に視覚化されたのかを考察する。その意義は、以下の2点である。1)あらゆる作品において巧みな構成力を発揮した一信が、限られた視覚文化のなかで、六道等の仏教的世界を含む梵土を如何に描きだしたのか、その典拠を明らかにし、当時の具体的なインド・イメージを考察すること2)一信という町絵師が梵土を描きだしたことによって、実際のインドで始まった仏教の戒律と乖離した、近世日本における大衆の信仰が採用されている可能性が考えられる。その差異を明らかにし、幕末期における異国表象の豊かさ、あるいは限界について考察することさらに、本作は一信の数名の弟子および妻によって構成された工房作であることが知られているが、一信本人によって手がけられた画幅の数については明確ではない。本研究の結果、それを特定することは難しいが、例えば『北斎漫画』「須弥山」から構成を引用している第37~40幅〈六道天〉では、本作全体を通して通常2幅1対の構成をとるところ、4幅で1対となる特殊な構成を採用している。このような大胆な構成の変更・採用を行った人物は、工房の棟梁であり、巧みな構成力を発揮した一信であると考えるのが自然である。また、本作の各箇所に引用された絵画は、古画・版本・明清絵画、西洋技法に至るまで、当時、目に映ったさまざまなイメージに波及している。これらの採用された典拠の傾向についても考察し、最終的には本作を手がけた個々人の趣向・嗜好について検討を行いたい。本研究の結果は100幅全体の視覚的な構成や描き手について今後検討を重ねる上でも必要な材料となると考えられる。―74―
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