陸信忠筆「仏涅槃図」に関する研究的な平行遠近法を用いる「床置き型」を同じ時期に描いているが、「テーブル型」は一切描いていない。このことを踏まえると、安輝濬がいう冊巨里の歴史的な変遷についての仮説を立証することが可能であるかもしれない。研究者:大阪大学大学院文学研究科助教本研究の目的は、陸信忠筆「仏涅槃図」を再解釈し、美術史上に位置づけ直すことである。筆者はすでに、本図における特徴的な表現を抽出し、同時代以前の大陸の涅槃表現との比較を進めている。それによると、中原や北方地域で出土している北宋や遼の浮彫の涅槃像や、墓室壁画に表された涅槃図との比較が可能であり、本図が伝統的な図像を引用しつつ再構成されていることが指摘できる。このことは、従来南宋時代の宮廷絵画の研究で言われている、南宋人の中原地域への意識というものが仏教絵画にも通底している可能性を示すと同時に、作品が制作された江南地域の範囲のみで考えるのではなく、比較対象を大陸全体に広げることの有効性を示している。また、本図に対し、大陸の中での相対的な位置づけを行うことによって、本研究が時代や地域の連続性を考えるためのケーススタディとなりうると考える。本図の懸用法については、先行研究でも紹介されている自慶編『増修教苑清規』(至正7年・1347)が参考となる。陸信忠が活躍した寧波の市街地に位置する有力な天台寺院、延慶寺の涅槃会の堂内荘厳についての記載があり、元末の史料ではあるが、法堂に涅槃仏像を安置し、その左右には涅槃会に結集した諸法蔵、諸菩薩僧、諸縁覚僧、諸声聞僧の四つの位牌を並べたとされる。史料の涅槃仏像が彫像か画像であったのかは不明であるが、仮に本図について、位牌に囲まれた中央の幅として制作された可能性を考えると、本図の中に描かれた参集が少ない点も頷けよう。本図は左右対称性を意識した求心的な構図であり、これも中央の幅とした場合の視覚的効果を狙ったものと考えられる。陸信忠は、十王図にその名を多くとどめるが、それらの十王図の構成は中幅の地蔵菩薩像を中央に掛け、左右に五幅ずつ王の姿勢が向かい合うように十王図を掛けられたと想定されている。中幅の地蔵菩薩像は、両脇に合掌する従者を従えた求心的な構図であり、本図と通ずるところがある。こうした画面の整理や図像の再構成にこそ、陸信忠の力量が発揮されていると捉えるべきではないだろうか。―81―高志緑
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