浮世絵師・楊洲周延の画業に関する研究している。他にも、下間二之間「牛図」は禅の画題である「十牛図」を背景にし、さらに草堂寺本堂を再建して蘆雪を呼び寄せた僧・棠陰の隠居所が「牧牛庵」といい、紀南の他の寺院では描かれない牛の画は、施主への敬意が込められたものとも想像される。上間二之間「虎渓三笑図」に異例の猫が描かれている点を、同じ部屋に「群狗図」障子腰貼付が組み合わせられていることに着目すれば、「南泉斬描」と「趙州狗子」という猫・犬が登場する公案を暗に対にしているとも考えられ、他の部屋についても、草堂寺僧や施主との関わりで画題が選択された可能性を探る。紀南における蘆雪の制作は、宝永四年の地震津波による紀南一帯の被災が背景にあり、寺院再建の仕上げとしての障壁画制作を依頼された蘆雪は、復興の象徴たる画を描き上げることが求められたと想像され、無量寺や成就寺の障壁画にみられる吉祥性にはそうした背景が想定される。一方草堂寺は、禅的要素の強い画題選択に加えて、紀南の他の寺院に比べて丁寧にかつ鋭く研ぎ澄まされた筆致としており、紀州東福寺派寺院の「派頭」(中本山)と位置づけられていた草堂寺の寺格にふさわしい表現を模索していた可能性がある。以上のような、画題の特定や筆法の分析と並行して、交流を持った禅僧の事績を整理する。隣接他分野の先行研究および草堂寺棟札、東福寺文書などを参照して、蘆雪画に着賛する東福寺僧の独秀令岱、相国寺僧の誠拙周樗について、また蘆雪との交友が確認できる斯経慧梁や指津宗琅などの臨済僧の事績研究を進める予定である。草堂寺障壁画研究は、紀南における蘆雪の活動の具体相を明らかにするとともに、蘆雪が禅僧との交流や地域の文化から何を感じ取り、咀嚼し、絵画表現に反映させたかを明らかにするものとなるだろう。このことは、京都を中心に活躍する絵師たちがこぞって遠方で障壁画制作をし、再び京都で大成する例が多かった18世紀文化の一つの仕組みについて、絵師を迎え入れる側の文化に立脚した確固たる視点を提供するものとなりうる。研 究 者:町田市立国際版画美術館 学芸員 村 瀬 可 奈本研究は、明治に活躍した浮世絵師、楊洲周延に関する基礎研究である。周延研究が明治浮世絵師のなかでも特に立ち遅れている状況を鑑みて、作品の基本情報を収― 80 ―
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