鹿島美術研究 年報第34号
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た。このうちテオドール・デックは、その作陶レベルの高さ、ラファエル・コラン等の画家との共同制作、多数のジャポニスム作品の制作、陶芸技術の教育普及への多大な貢献、セーヴル製作所長の任にあったこと等、様々な点で当時のフランス陶芸界を代表する人物だと言うことができ、今回の研究でも、主にデックの活動を中心に考察を展開していく。デックの作品をはじめ、フランス各地で制作されたこれらの陶磁器は、万国博覧会や国内の展覧会、輸出貿易、市民の日常生活の場を華やかに彩っていた。しかしながら、陶芸やその制作者がまばゆい脚光を浴びているかのように見えた舞台の裏では、産業/装飾芸術振興運動の展開において、こうした制作者の視点よりも、使用者の視点にウェイトが置かれるようになっていた。具体的には、機能優先の産業製品に芸術性を取り込んでその製品価値を高めようとする、作り手の制作姿勢に寄り添った「産業芸術」が、1870年代から80年代を通して、装飾のための芸術といった、まず使用者の用途ありきの、個人の唯美主義的な傾向を孕んだ「装飾芸術」へと置き換えられていったのである。象徴的なのは、当時の産業/装飾芸術の振興に重要な役割を果たした、「産業応用美術中央連合」(1864年設立)が「装飾芸術中央連合」(1882年設立)へと形を変えていく中で、連合名から「産業」という用語が捨象され、代わりに「装飾」という用語が冠せられたことである。そのような、作り手の立場がある意味ないがしろにされていく状況に対し、陶芸界では一体どのようなリアクションが認められたのだろうか。それが本研究の関心の所在である。制作者の立場に立った発想が相対的に重みを失っていく中で、陶芸の「作り手」であるデックらはいかなる制作活動を実践し、当時の陶芸界を牽引する行政官、学芸員、批評家らは、いかに陶芸の在るべき姿やその魅力を唱え、主義主張を展開し、20世紀の陶芸へとたすきをつなげていったのか。そもそも産業/装飾芸術振興運動の展開において、陶芸を含む各種工芸の在り方については、どの程度考慮され、本質的な議論がなされていたのか。本研究ではこうした点に留意しながら、デックの活動を中心に、19世紀後半のフランス陶芸界が、産業/装飾芸術振興運動のうねりにいかに相対したのかを、考察していくこととする。本研究の意義第一に、本研究はこれまで日本で等閑視されてきたデックの陶芸制作に光を当てるものであり、本格的なデック研究の嚆矢となる。第二に、産業/装飾芸術振興運動の― 83 ―

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