鹿島美術研究 年報第34号
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術作品が研究対象として認識されている国はそれほど多くない。それは、美術史研究自体がまだ主要な学問として確立していない国が多いこと、また、近代以前のアジア美術は、その独自性から欧米の研究者たちに魅力的な研究対象とされ、彼らに牽引される形で研究が進んだのに対し、近代以降の美術は、西洋美術をどう受容し、そこから独自の美術をどう構築するかがテーマとなるため、欧米人研究者にとっては、西洋の亜流、または遅れたものとしてみなされ、研究対象になりづらいという要因がある。また、研究が進まないネパール独自の要因として、単純に国が小さく、美術界自体の規模が小さいということもある。近年、アジア諸国の急速な経済発展によって、投資の対象として現代美術が注目されるようになり、現代美術の作家たちが活躍する機会も増えてきた。しかし現代美術を作る側も、享受する側も、その前段階にある近代美術が抜け落ちたままでは、表面だけの理解となりがちである。近代の流れを知ることで初めて、現代文化・美術への理解は深まり、新たな表現が可能となるだろう。アジア諸国の多くは、西洋列強の植民地を経験し、宗主国を通して西洋美術を知り、それ以前の美術を「伝統美術」として認識する。近代の美術作家たちは、伝統と西洋の新しい技術の間で、その国独自の新たな美術の創出に努め、それはしばしば独立運動と重なった。西洋美術の受容と、受容後のその国独自の新たな美術の創出は、アジアに共通するテーマであるといえる。ネパールは、インドと中国という大国に挟まれた地理にあり、近代においてはイギリスの脅威を受けるも、植民地となることはなく、現代になって王政から民主化へと変化を遂げた。その美術は、近代以前はインドとチベット、近代以降はイギリスやインドの影響を強く受けている。ネパールの近代美術の展開は、アジアの美術史を考える上でも一つの事例として重要である。また、ネパールは、2015年に大地震がおこり、甚大な被害を受けた。近代以前の美術については、東京文化財研究所による文化財の被災状況調査がおこなわれているが、近代以降の美術作品については、ほとんど何もなされていない状況にある。本調査は、近代美術における被災状況調査としても重要な意義をもつものとなるだろう。今回調査を行うことで、ネパールにおける近代美術の重要性を明らかにしたい。それによって、貴重な近代美術の作品がネパール国内で適切な形で保存、公開へとつながることを期待する。将来的には、それらを借用して、ネパール近代美術史の流れを― 87 ―

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