鹿島美術研究 年報第34号
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 現代における伝統的な和凧―「芸術化artification」と「国家遺産化patrimonialisation」―(註1)速水侑『平安貴族社会と仏教』(吉川弘文館、1975年12月)(註2) ①中野玄三「閻魔天から閻魔王へ」(『仏教芸術』150、毎日新聞社、1983年9(註3)心覚『別尊雑記』巻46「焔魔天」に掲載。(『大正図像』3)(註4)覚禅『覚禅抄』巻118「焔魔天法」に掲載。(『大正図像』5)(註5)頼瑜『薄草子口決』17「諸天等部第一」(『大正蔵経』79、293頁a)(註6)註2-①(註7)註2-②(註8)頼瑜『薄草子口決』17「諸天等部第一」(『大正蔵経』79、283頁a)(註9)覚禅『覚禅鈔』巻118「焔魔天法」(『大正図像』5)月)、②安嶋紀昭「台密の焰魔天曼荼羅について―京博本と園城寺本―」(『MUSEUM』487、東京国立博物館、1991年10月)、③山本陽子「焔摩天十九位曼荼羅中尊と五道大神の像容について」(『鹿島美術財団年報』9、1992年)研 究 者:インディペンデント・スカラー、      パリ・ソルボンヌ大学博士課程修了(博士)  Cecile LALYなぜ本プロジェクトは、日本の伝統的な和凧の保存と伝達に焦点を当てるのか?江戸時代から20世紀の初めまで、凧は日本文化の重要な部分を担ってきた。しかし、20世紀後半から、凧をあげる場所がなくなり、ハイテクなおもちゃの開発が進み、木や和紙で作られた伝統的な凧は子供たちにとって、古臭いつまらない物になって、和凧の衰退が始まった。こうして、凧製作の職業は徐々になくなり始めた。全国で、20世紀の初めには何百人もいた凧製作者は、21世紀の初めには数十人しか残っていない。こうして、凧と凧製作者の消失と平行して、凧愛好者によって、和凧文化の保存の活動が行われるようになった。1960年代から70年代にかけて、アマチュアの凧愛好家たちの活動が組織化された。またこの時期、最初のコレクションが整備され、和凧の歴史について最初の本が発表されて、日本だけではなく世界でも最初の凧博物館(私立)が東京・日本橋に開館した(このテーマに関する論文を雑誌『日文研』の2016年9月号に発表する予定である)。日本政府がいくつかの博物館を開館すること― 90 ―

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