二点については研究も進んでおり、その図像的源泉や制作に至る過程が明らかにされるのに留まらず、同時代受容にも着目し、サロンにおける「スキャンダル」の有無や画中のいかなる要素が同時代人の不興を買ったのかという問題が論じられてきた。本研究もそうした先行研究を参照しているが、受容研究という側面においては課題も多く残されている。例えば、あるサロンにおけるマネとその作品受容の実態を明らかにしようとした際、その年度のサロンに関する美術批評や書簡、日記を調査しただけでは不十分である。画家に対する評価は年々蓄積され、変化してゆくものであり、それ以前の展覧会での評価にまで遡らなければ、正確な理解にたどり着くことは困難である。《草上の昼食》の「スキャンダル」に関して言うならば、本作が出品された「落選者のサロン」の同年に開かれた展覧会での受容が同サロンにも影響を及ぼしていた可能性が筆者により指摘された。他の作品においても事情は同様であり、1860年代のマネ受容について知るためにはやはり全ての年度のサロンについて調査研究を行わなければならないが、同時代資料の網羅的な調査を行った先行研究は見当たらず、本研究において初めてその全貌が明らかになることが期待される。それでは、1860年代の作品受容に着目することでどうして、マネの絵画的特質を論じることが出来るのだろうか。マネはしばしば、「スキャンダルの画家」との紋切り型をもって語られてきたが、こうした評価はまさに1860年代に発表された、《草上の昼食》と《オランピア》の同時代受容に起源があると言える。当時の美術批評家たちの批判的な記述による印象が、年を経るごとに増幅されながら、現代の鑑賞者にまで影響力を保持し続けていると言っても過言ではない。しかしその一方で、毎年のサロン批評で継続的にマネを取り上げ、作品の同時代的意味を評価した者も存在している。彼らの批評のほとんどは現在では忘れ去られてしまっているが、画家のイメージにまだ揺らぎのある1860年代の記述を読み直すことで、サロンで直接作品を鑑賞した者にしか持ち得ない評価軸を知ることが可能となるだろう。よく指摘されるように、マネの絵画表現の革新性が19世紀以後の近代絵画を牽引したとするならば、主題や描写のどういった側面が他の画家の作品と本質的に異なっていたのかを、その違和感を鋭敏に察知した美術批評を補助線に解き明かすことが本研究の目指すところであり、この試みにより19世紀フランス絵画史における「前衛」とは何かという難問にも肉薄してゆきたい。― 92 ―
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