鹿島美術研究 年報第34号
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1. フェルナン・クノップフ作《私は私自身の上に扉を閉ざす》にみる「宿命の女」研究発表者の発表要旨―文学との関わりから―③ 研究発表会研究発表会では、財団賞受賞者2名とそれに次ぐ優秀者のうち1名により発表が行われた。西洋美術部門優秀者:山口県立美術館 学芸員 矢 追 愛 弓ロセッティの詩中に看取されるのは、登場する「私」の、①現実からの逃避願望による外界の遮断、②外界の遮断という状況下で起る制御し得ぬ自己の自覚、③救済への願望の三点である。①については、《私》では室内という設定により端的にその状況が表わされているのと同時に、クノップフ自身がなじんでいた造形語彙の導入により、それが己の内面への逃避であることが示唆されていることを示す。②については、画中の女性に付与された身体的特徴や服装などが示すその性格に注目したい。ロセッティの詩において、制御し得ぬ自己は己を堕落へと誘う誘惑者の性格をもつが、《私》の女性が有する身体的特徴は、その所有者が誘惑者であることを観者に伝えるものである。しかし一方で、この女性の服装や姿勢はむしろ、彼女を誘惑に悩む被誘惑者と《私は私自身の上に扉を閉ざす》(1891:ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク蔵)(以下《私》)は、19世紀末に活躍したベルギー象徴派の画家、フェルナン・クノップフ(1858-1921)の代表作の一つである。その多くが文学と密接に関連するクノップフ作品の中でも、英国ヴィクトリア朝期を代表する女流詩人の一人クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)の詩「誰が私を救うべき」(1864)に基づくことで知られる。しかし先行研究では、本作品とロセッティの詩との関連について、この詩が示す内省的な精神へのクノップフの共感が指摘されるに留まり、十分な考察が行われてきたとはいえない。よって本発表では、まず「誰が私を救うべき」の内容を確認する。そしてその内容が《私》にいかに反映されているかを、画中のモチーフの検討などを通して考察する。― 29 ―

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